河内大塚古墳[羽曳野市教育委員会提供]   「古市古墳群と百舌鳥古墳群は、ほぼ同時に平行して造られ続けたということですが、両方の古墳群はどんな関係にあったのか興味ありますが、どんなもんでしょう」おじさんは乗ってきたようで、なかなか鋭い質問が飛んできます。
 同志社大学の森浩一さんは、百舌鳥古墳群と古市古墳群、さらに両者の中間地帯に造られた河内大塚古墳や黒姫山古墳を、合わせて一つの古墳群として理解すべきだと主張されています。確かに二つの古墳群は、造られた時期やいろいろな大きさの前方後円墳や方墳・円墳から構成されている点、また、同じ設計図を使ったのではないかと考えられる古墳があること、さらに副葬品に鉄製武器・武具が目立つことなど数々の共通するところがあります。
 でも、よく観察すると、違う点もあります。一つは古墳群の形成過程であります。古市古墳群では、4世紀後半の津堂城山古墳に始まり、6世紀中葉の白髪山古墳(清寧陵)にいたるまで、間断なく巨大な前方後円墳を造り続けています。これに対して百舌鳥古墳群では、大仙古墳(仁徳陵)の築造前後に古墳群の形成が極めて活発になる特徴があります。つまり、5世紀後半にピークがみられるということです。
 もう一つは、古市古墳群の総数95基のうち方墳が40パーセントにあたる38基も造られているのに対し、百舌鳥古墳群では10パーセントに満たないという違いがあります。古墳群における方墳の占める割合に大きな違いがあるのです。その原因には両者の形成時期の違いのほかに古墳群の性格の違いを考えることができるかもしれません。
 このように、古市古墳群と百舌鳥古墳群では、群形成の過程や群を構成する古墳の形の比率に違いがみられるのも事実なのです。したがって、共通点と異なる点を正確なデータに基づいて、さらに突き詰めていく必要があるように思います。
 古市古墳群と百舌鳥古墳群を同一の古墳群として考えるかどうかの結論は先送りするとしても、両古墳群が極めて強い関係に結ばれていたことは、想像にかたくないところです。この二つの古墳群には、5世紀を代表するいくつもの巨大古墳が築かれていて、5世紀に活躍した大王の眠る奥津城であることに疑いはありません。最近では、円筒埴輪の研究が進み、これらの巨大な前方後円墳が造られた順番に並べることも可能になってきているのです。

写真/河内大塚古墳[羽曳野市教育委員会提供]


『広報ふじいでら』第325号 1996年6月号より