日本人はどこから来たのか2(No.54)

更新日:2013年12月18日

港川一号人骨

港川人の身体や顔つきは、多くの点で縄紋人と非常によく似ています。港川人が進化して縄紋人になったことは、大方の研究者の意見が一致しています。問題は、港川人がどこからやって来たのかということです。
港川人の声は極めて小さいので、人類学の研究者に聞き取ってもらう必要があります。東京大学の鈴木尚さんは、中国北部の山頂洞(さんちょうどう)人と中国南部の柳江(りゅうきゃん)人との比較で柳江人と港川人の特徴がよく似ていることに注目しました。そして、柳江人が沖縄に渡って港川人となり、さらに日本列島に来て縄文人となったと結論しました。
東京大学の埴原和郎さんやアリゾナ大学のC・タナーさんは、シャベル形切歯(切歯の裏側にくぼみがあり、ちょうどシャベルのような形をしている)をスンダ型と中国型の二つに分類し、その出現頻度に注目しました。両氏は、港川人の歯は原始的な特徴をもつスンダ型だとし、彼は約2万年前にスンダランド(氷河期にインドネシアからマレーシアの地域に存在した陸地)から沖縄にやって来た人々の子孫だと推論したのです。
港川人、ジャワのワジャク人、山頂洞人、柳江人の頭骨を詳しく比較した国立科学博物館の馬場悠男さんは、港川人とワジャク人のグループ、山頂洞人と柳江人のグループでは、グループ内の特徴がよく一致するのに、グループ間では違いが目立つことを指摘しました。その違いの一つとして山頂洞人と柳江人に顕著なまげ状隆起の存在を挙げられています。まげ状隆起とは、後頭部に丸まげ(フランス語でシニョン)をつけたように見えるのでこの名前がついたのです。馬場さんは、埴原さんやタナーさんと同じく港川人と太平洋沿岸部の東南アジア人との共通項を指摘しているのですが、それをもって港川人の起源を論じることはできないとの立場に立っておられます。
港川人のメッセージの解読には、以上のようないろいろな説があるのですが、大まかにいうと、港川人は東南アジアの旧石器人と近く、縄紋人とも非常によく似ていることを人類学者は指摘しているのです。この結論からすると、日本人南方起源論説に傾きかけるのですが、考古学の側から有力な反論があるのです。
それは日本の旧石器時代の石器の特徴に、北東アジアの石器文化とのつながりが強く現れていることです。ところが、その要素のほとんどは縄紋時代になると消えてしまうという複雑な動きがあります。
日本人の起源をめぐる人と文化の探求は、まだ始まったばかりなのです。

写真:港川一号人骨[国立科学博物館提供]

『広報ふじいでら』第304号 1994年9月号より

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