縄紋人はエコロジストか2(No.61)

更新日:2017年07月08日

右・ニホンシカ 左・イノシシ

縄紋人の文化は、食物の貯蔵、定住生活、土器の製作という三つの要素が相互に関係しながら高度に発達したのです。手に入れた食物をその場で食べることを基本とした旧石器人との大きな違いがここにあります。さらにやや遅れて海産資源の開発が加わり、狩猟採集民としては、世界的にまれな人口増加を実現したのです。
こうした縄紋人の行動パターンは、創造力にあふれ、計画性が貫かれていたのです。その一例を紹介しましょう。ドングリやトチの実のあく抜き技術です。日本列島の秋は、ナッツのなる季節です。そのままでもおいしいシイ類やクリもありますが、そのままでは渋くて食べられないナラ類やカシ類、それに大きな実のトチもたくさん採れるのです。縄紋人はこれらのナッツを保存食料用に大量に採集しているのです。ナラ類は水にさらし、カシ類はそのうえに加熱処理をし、トチの実にいたっては灰合わせという渋を抜く高度な技術によって良質の食品に加工しているのです。こうした食品加工技術の獲得が、縄紋文化の根底を支えたのです。
また、これまでの貝塚などの調査で分かってきたのですが、彼らが食料にした種類の多さには驚かされるものがあります。動物約70種、魚類70種、鳥類35種、貝類では350種にもおよびます。キツネ、サル、タヌキはもちろん、モモンガ、ムササビまで、そんなに量は多くはないのですが、とてもおいしいとは思えないものまで食べています。おそらく、こうした種類の食料は、通常の食卓にのるものではなかったでしょう。当てにしていた食料がとれなかったとき、なんとか食べつなぐ方策として、あらゆる動植物の調理方法に熟達していた証ではないでしょうか。また、フグの骨も大量に見つかっていて、食中毒に対する知識と調理法も知っていたのです。
縄紋人は、こうした優れた生態学的知識を次々と身につけ、次の世代に伝えていったのです。あの山の雪が消えたら、あの沢の南斜面でワラビが取れる。ヤマユリが咲くころはウニが食べごろになる。フグの内臓には気をつけろ。といった具合だったのでしょう。
縄紋人は、代々蓄積した自然に対する大量の知識を小出しにしながら、つつましいけれど安定した生活を送っていたのです。当然、彼らの社会では、自然資源の枯渇を招く乱獲はご法度だったのです。遺跡から出土するシカやイノシシの骨には、幼獣が含まれないことはこれを証明しています。

写真:縄紋人が食べた動物の骨(右・ニホンシカ 左・イノシシ)

『広報ふじいでら』第311号 1995年4月号より

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