縄紋の紋の字(No.63)

更新日:2013年12月18日

国府遺跡で出土した縄紋土器

小学生を連れたお父さんさんから質問を受けました。「歴史展示コーナーの縄紋時代の(紋)の字は(文)の間違いではないのですか。教科書を見ても(文)となっていますが」という内容です。
実は、同じ趣旨のご質問はこれまでにもいくつかいただいておりました。すべての教科書を調べたわけではありませんが、確かに縄文と表記されています。学術図書でもその大半は縄文と書かれています。
まず、お断わりしておかなければならないのは、縄紋は縄文のワードプロセッサーの変換ミスではなく、意識して使ったということです。
では、紋と文の違いを調べることから始めましょう。紋という字は紋付、紋章、指紋という使われ方をします。つまり、紋は物の表面の模様の意味があるのです。これに対して、文はどうでしょう。確かにこれももんと読むことができます。呪文、文句、文者、文の字が文字や言葉に関して使われていることを知ることができます。文が文様のように模様の意味をもって使われることもありますが、漢字本来の意味からすると、文は文字、紋は模様の使い分けがなされていたと思います。
さらに、学史的な問題として、縄紋という言葉が、いつからどのようなきっかけで使われ出したのか調べてみましょう。
土器の表面につけられた縄目を学術的な意味で初めて紹介したのは、東京大森貝塚の発見者のE・Sモールスさんです。1879(明治12)年に刊行された英文の報告書“シェル マウンズ オブ オオモリ"は、のちに東京大学の矢田部良吉さんによって翻訳され、『大森介墟古物編』として出版されます。この報告書で土器の表面に印された縄目をモールスさんはコード マークと表現し、矢田部さんはこれを「縄紋」と翻訳したのです。以降、土器の表面に印された縄目のことを縄紋と書くことが定着するのです。
1920(大正9)年に刊行された京都大学の国府遺跡の報告書には、浜田耕作さんが「縄紋」を使っておられます。ところが1935(昭和10)年の京都大学の梅原末治さんによる京都北白川小倉町遺跡の報告書では「縄文」という表記に変わっています。おそらくこのころから縄紋・縄文が併用されるようになり、しだいに縄文の表記が多くなったようです。
こういった傾向に対して、国立歴史民俗博物館の佐原眞さんは学史の尊重と表意文字である漢字を正確に使おうと縄紋の復活を提唱されています。
佐原さんに賛同して、縄文ではなく、縄紋と表記したいと思うのです。

写真:国府遺跡で出土した縄紋土器

『広報ふじいでら』第313号 1995年6月号より

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