貫頭衣とはどんな服?(No.68)

更新日:2013年12月18日

古代の機織りの再現

「弥生時代の衣服は貫頭衣(かんとうい)だったと聞いたことがあるのですが、どんな材料で、どのように作ったのですか」
前回と同じ女性からのご質問です。布や衣服については、まだまだよく分かっていないところもあって、お答えしにくい点もあるのですが、少し聞いてください。
日本では、弥生時代になってやっと衣服らしい衣服が登場します。織機(しょっき)を使って布が織れるようになったからです。それまでの縄紋時代では、動物の皮革や植物繊維で作った編み布があったようですが、織り布は知られていなかったようです。
弥生時代の織り布の現物は、奈良県唐古(からこ)・鍵(かぎ)遺跡から出土していて、織り布としては、最も基本的な平(ひら)織りであったことも分かっています。平織りの布の身近な例としては、日本手ぬぐいがあります。
布の素材には、民俗資料を参考にすると、植物性のものとして、草皮のタイマ、カラムシ、アカソ、樹皮のコウゾ、カジノキ、フジ、シナなどが候補に挙がります。動物性の素材として注目されるのは絹ですが、現在のところ、北部九州では作られていたことが知られていますが、その普及度はまだよく分かっていません。
こうした素材から強い繊維を取り出し、長くつなぎ、そして紡錘(ぼうすい)を使ってよりをかけて糸にするのです。糸ができれば機織りです。弥生時代の織機の部品は、いくつも見つかっているのですが、残念ながら一揃いまとまった出土はまだ知られていません。弥生時代の織機は、南米や東南アジアの民族資料を参考にすると、写真のようなものではなかったかと想像されています。
さて、貫頭衣ですが、これは「魏志倭人伝(ぎしわじんでん)」に女性の衣服として登場するところから、広く知られるようになった言葉です。貫頭衣は文字どおり解釈すると、1枚の布の中央に頭を通す穴を開け、両脇を縫い合わせたワンピース型の衣服だったと考えられます。
しかし、東大阪市立郷土博物館の酒井晶子さんは、弥生時代の織機からすると、布幅は30~33センチぐらいであったから、2枚の布を首と両手を通す穴を残して、縫い合わせて作ったのだろうと推測されています。
酒井さんの貫頭衣の製作実験研究によれば、糸作りに57日、織り上げに8日、仕立てに1日を要したということです。いうまでもなく、弥生人は1着の衣服を大切に着たことでしょう。

写真:古代の機織りの再現(酒野晶子氏提供)

『広報ふじいでら』第318号 1995年11月号より

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