古市古墳群と百舌鳥古墳群2(No.76)

更新日:2013年12月18日

古市古墳群の全景

「じゃ、倭の五王と呼ばれた人たちの古墳を古市古墳群と百舌鳥古墳群の中から探すこともできるんですか」おじさんは自分の質問に自分なりの解答をもっているふうがあります。慎重に答えないとやり込められるかもしれません。
倭の五王がどの天皇にあたるかという研究は、古く江戸時代から始められています。しかし、現在にいたっても研究者の意見は分かれています。その最大の理由は、日本側の記録『日本書紀』『古事記』の内容をストレートに信用できないことにあります。ただ、五王の最後の武が雄略天皇にあたるということは、研究者間でほぼ意見の一致をみています。
一方、巨大古墳の多くは、天皇の墓として定められています。どの古墳をどの天皇の陵墓とするかは、幕末から明治の初めにかけて、『延喜式諸陵寮』という平安時代に編さんされた百科事典を主要参考文献として、検討されて決められたのです。この作業がかなり難しかったことは、陵墓参考地や陪塚の名目で天皇陵にはできなかった巨大古墳をリストアップしていることからも想像できます。
ということで、日本の古い記録から巨大古墳に葬られた人物名を特定することは、至難の技なのです。そこで期待されるのは最近の考古学の研究成果ということになります。
最近の考古学のめざましい研究成果の一つに円筒埴輪の編年研究があります。これを用いて陵墓になっている巨大古墳も含めて古墳の編年が可能になったのです。つまり、古墳の相対年代では、研究者間に大きな誤差がないところまでいっているのです。
ただ、実年代を差し入れる点になると、研究者の意見が分かれていて、まだ決着をみていないのが現状です。実年代について意見が分かれるのは、文献以外で信頼のおける金石文資料の数が極めて少ないことが最大の理由だと思います。
その古墳がいつ造られたのかという点に議論の余地が残されているものの、どの古墳を大王墳の候補にするのか、あるいは倭の五王の墓はどの古墳なのかといった研究も考古学の成果をベースにして始まりつつあります。
これらの研究はまだまだ試案がいくつか出されている段階にすぎません。しかし、古墳に葬られた人物を特定するということは、考古学や歴史学の長年の課題だっただけに、今後大いに白熱した議論の展開が期待されるのです。

写真:古市古墳群の全景

『広報ふじいでら』第326号 1996年7月号より

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