円筒棺の謎1(No.77)

更新日:2013年12月18日

土師の里8号墳の埋葬施設(右)と第1主体部の円筒棺(左)

おじさんの質問攻勢をやっとかわしたのですが、さっきから土師の里8号墳の円筒棺を興味深げに観察していたおばさんが近づいてきました。「ちょっとお尋ねしたいのですが、円筒棺というのは、円筒埴輪を利用したお棺なのですか」
おばさんは3人連れで、遺跡めぐりの服装をばっちりきめています。遠方から古市古墳群めぐりにお越しになったのかもしれません。それはともかく説明が先でしょう。
一般的に円筒棺と呼んでいるものには、古墳に立てるために作られた円筒埴輪を転用したものと、初めから棺にするために、円筒埴輪形に作られたものがあります。
たとえば、土師の里8号墳には、3つの埋葬施設が作られていましたが、うち2つは棺用に作られた円筒形の埴輪を使い、残り1つは朝顔形埴輪を転用したものでした。最も大きい第1主体の円筒棺は、2本の特製の円筒形の埴輪をつなぎ、両端をこれまた棺用に特別に作ったふたでふさいでいました。棺は全体で2.5メートルもあり、これまでに見つかっている円筒棺では最大クラスのものです。しかも、この棺には、鉄の剣や刀、鉄の矢じり、鉄斧、鉄鎌などが副葬されていました。
ただ、このような例は、円筒棺のうちごく少数で、円筒埴輪を転用した棺で副葬品も全くないというのが大半なのです。
円筒棺は古市古墳群内で約80例ほど見つかっています。そして、その8割方が土師の里周辺に集中していることが知られています。円筒棺が、埴輪創作説話に登場する土師氏一族と深くつながっていることは間違いないと考えられます。ただし、土師の里以外の土地、たとえば、北岡や青山といった地域でも円筒棺が見つかっていて、単純に土師氏特有の墓制と片付けられないところです。
円筒棺に関して、最新の調査成果の一つを紹介しておきたいと思います。場所は近鉄土師の里駅の北側で、戦後まで赤子塚と呼ぶ直径30数メートルの円墳があったところです。この円墳が造られる以前に、円筒棺墓が営まれていたことが分かったのです。興味を引いたのはこの円筒棺の上部に直径3.5メートルの小規模な土まんじゅうが乗っていたことです。
円筒棺墓の地上標識がどのようなものであったのか、全く想像の域をでなかっただけに興味を引く事例といえるでしょう。ただし、すべての円筒棺墓にこのような土まんじゅうがあったとは即断できないのですが。

写真:土師の里8号墳の埋葬施設(右)と第1主体部の円筒棺(左)

『広報ふじいでら』第327号 1996年8月号より

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