円筒棺の謎2(No.78)

更新日:2013年12月18日

赤子塚古墳の全景(右)と下層から出土した円筒棺(左)

赤子塚古墳の下層では、合計3基の円筒棺が見つかりました。この円筒棺群でもう一つ興味を引いたことがあります。それは、棺に使われていた円筒棺そのものの特徴なのです。
3基のうち2基に使われていた円筒埴輪は、いずれも古市古墳群では、あまりお目にかからない古い形をしていたのです。もちろん黒斑と呼ぶ染みがばっちり残されていて、器壁も薄く、外面はハケ目でていねいに仕上げられていました。口縁の端部は大きく外側に反り、短い口縁部を作っています。逆に底部は長く、この埴輪の特徴的なプロポーションを決定しています。
古市古墳群で最も早く造られたと推定されている津堂城山古墳の円筒埴輪と比較してみても、この埴輪がより古い特徴を備えていることは明らかなのです。筑波大学の川西宏幸さんの円筒埴輪編年によれば、第I期に該当する特徴を見出すことができるのです。
しかし、円筒棺の年代については、棺の製作年代をそのままスライドさせることには慎重な態度が要求されています。それはこれまでに、5世紀後半に作られた円筒埴輪が6世紀になってから棺に使用されたという実例もあるからです。
しかし、幸いなことに2号の円筒棺に伴って、布留式と呼ぶ土師器の壺が埋められていることが分かったのです。この壺は、口縁部を打ち欠かれていたので、正確な年代を求めにくいのですが、4世紀後半中ごろを下らないことは確かでしょう。したがって、この円筒棺は、古市古墳群の形成前に作られた可能性が高いということが明らかになったのです。
古市古墳群の形成が開始される前に、円筒棺という特殊なお墓がこの地域に作られたという事実は、何を物語るのでしょう。円筒棺が土師氏という土木技術者集団と深いかかわりが認められるとすれば、古市古墳群の巨大古墳の造営に先立って、土師氏の一族がこの地で営みを始めていたことになります。
土師氏の成立については、佐紀古墳群の成立を契機とする見方と、古市・百舌鳥古墳群の成立を評価する考えがあります。今回見つかった円筒埴輪の特徴は、どうも佐紀古墳群の成立を契機とする説に力を入れたくなります。とすると、土師氏の一族が、巨大古墳の造営に先立って奈良県北部の佐紀の地から土師の里に移住してきたとなりますが、さあ、どうでしょう。

写真:赤子塚古墳の全景(右)と下層から出土した円筒棺(左)

『広報ふじいでら』第328号 1996年9月号より

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