鉄器の生産はいつから(No.79)

更新日:2013年12月18日

野中古墳の甲冑出土状況(右)と陶質土器(左)

西墓山古墳から見つかった鉄器埋納施設の展示を前にした3人の大学生から質問を受けました。「日本では、いつごろから鉄器を作り始めたのですか」基本的な疑問なのですが、これまた難しい質問です。
日本列島に鉄器が現れるのは、よく知られるように弥生時代になってからです。それから古墳時代前期にかけて特徴的な鉄製品に「板状鉄斧」あるいは「短冊形鉄斧」と呼ばれる道具があります。朝鮮半島で鉄素材として作られたものを輸入してそのまま樹木の伐採などに使用していたのでしょう。
ところが朝鮮半島では、釜山の福泉洞(ポクチョンドン)古墳群などで明らかになったように、4世紀の中ごろに「鉄てい」という両端が幅広になった長方形の鉄板が出現します。この鉄ていはいろいろな鉄製品を作る素材で、4世紀末には日本にも輸入されています。徳島大学の東潮さんは、日本にもたらされた鉄ていの多くは、朝鮮半島南部で作られたと推定されています。
5世紀になると古墳の副葬品にも鍛冶の道具が現れ、以降、鉄鍛冶生産が発展することが知られています。ときを前後して、須恵器の生産が開始されます。これらのいわば産業革命の背後には、朝鮮半島からの技術者集団の渡来があったことは間違いないところでしょう。
5世紀後半に築造された史跡野中古墳からは、加羅系の陶質土器、鉄てい、それから高度な鍛冶技術を要する甲冑などが出土しています。これらは、日本における鉄生産と流入経路の実態をうかがう重要な資料となっています。
最近、韓国の池山洞(チサンドン)32号墳から日本製と考えられる鉄製よろい(横矧板鋲留式短甲)が出土して注目されています。5世紀後半には、日本の鉄製品を逆輸入するほどに鍛冶技術が向上したことを知ることができるのです。
朝鮮半島の忠清北道の石張里(ソクチャンニ)では、精錬炉、溶解炉、鍛冶炉を備えたいわば製鉄コンビナートのような遺跡が見つかっています。これらの炉は4世紀には稼働していたと推定されています。一方、日本ではどうでしょう。今のところ6世紀後半をさかのぼる製鉄一貫工場の遺跡は見つかっていません。
日本における製鉄の歴史は、弥生時代にまでさかのぼるという説もありますが、現在の具体的な資料からは、古墳時代も終わりに近づいたころにようやく本格化したとなるのですが、確定したとはまだまだいえないのです。

写真:野中古墳の甲冑出土状況(右)と陶質土器(左)(大阪大学/北野耕平氏提供)

『広報ふじいでら』第329号 1996年10月号より

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