古代寺院の姿2(No.81)

更新日:2013年12月18日

土師寺の塔心礎と出土した飛鳥時代の軒丸瓦

瓦屋根の建物は今でこそ当たり前なのですが、古代では特別な建物以外には使われていませんでした。特別な建物とは、お寺や役所の主要な建物です。
それ以外の住居建物は、桧皮や板、草を使って屋根をふいていたのです。つまり、瓦屋根の建物は、いわば公的な性格を表わし、それ以外の建物とは一見して区別される存在だったのです。
都以外の地方では、古代寺院の多くは、その地の有力な豪族が経営していました。板ぶきや草ぶきの建物からなる古代の村の一画に突如出現したきらびやかな古代寺院の姿は、それを建立した豪族の権勢をはっきり主張するに十分な輝きをもっていたのです。
お寺の造営と経営には、ばく大な費用がかかりますので、当然豊かな経済力が必要になります。ただし、経済力だけではお寺を建てることはできません。塔のような背の高い建物、金堂や講堂のような巨大な建物の建築には、精密な設計とこれに基づく正確な施工技術が要求されます。同じ大きさの瓦を大量に焼くことすら、地方豪族には経験がなかったことなのです。まして、仏教の教義を理解し、いろいろな宗教的行事を主催することは、経済力だけではどうにもできない事柄なのです。
つまり、地方の古代寺院の造営と経営には、中央からのハード・ソフト両面にわたる支援がなければ成り立たなかったのです。言い方を換えると、地方豪族にとって、古代寺院を造営し経営することは、自身の経済力と中央との結びつきがいかに強いかを誇示することだったのです。古代寺院の存在は、これをもつ豪族と、もたない豪族の政治的・経済的序列を視覚的に表現することになったのです。
一方、中央にあっては、地方の豪族のうち、選ばれた豪族にのみ寺院造営を許すということで、地方豪族の序列化を進め、地方支配の方式を確立しようとしたのです。
したがって、古代寺院は中央と地方のそれぞれの政治的思わくが合致した、まさに時代的産物という側面を見落としてはならないと考えます。7世紀後半、いわゆる白鳳時代に建立された古代寺院は全国で700ケ寺を超えるといいます。まさに寺院の建設ラッシュが到来した背景には、こうした事情が隠されていたのです。
豪族たちが我先にと競った古代寺院の多くは、100年もたたないうちに衰退の道をたどります。白鳳時代に建立され、いまも法灯を守り続ける葛井寺や道明寺(土師寺)は、むしろ数少ない古代寺院の姿なのです。寺名すら定かでない衣縫廃寺(史跡国府遺跡の中に巨大な塔心礎を残す)や船橋廃寺(大和川の河床にあった)にこそ、古代寺院の姿を象徴しているとみるのはどうでしょうか。

写真:土師寺の塔心礎と出土した飛鳥時代の軒丸瓦

『広報ふじいでら』第331号 1996年12月号より

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