木簡の語り(No.82)

更新日:2013年12月18日

平城宮出土の木簡(レプリカ)

平城宮出土の木簡を前に、熱心に解説文を読んでいる初老の男性がおられました。近づくと、申し訳なさそうに「眼鏡を忘れてきてしまったので、この解説が読みづらいのです。申し訳ありませんが、読んでもらえませんか」というお申し出がありました。
ここには、奈良の平城宮で出土した木簡のうちで、藤井寺近辺のことが記されたもの、3点を展示しています。
木簡とは、ご存じかもしれませんが、紙が貴重品であった昔、紙の替わりに文字を書いた薄い短冊形の板のことです。この木簡には、いろいろな文書、荷札、習字、落書きなどの種類があります。木簡は当時の政治・経済・文化の中心地であった都から、たくさん出土していて、文字史料を補い、現在では古代の研究には欠かすことのできない貴重な情報源となっています。
3点のうち最も大きい右端の木簡は、役人の勤務評定書のような札です。書かれている内容を見てみましょう。「去上従八位下村合水守公麻呂年五十四河内国志紀郡上日二百十舩稲」と記入されています。つまり、54歳の河内国志紀郡出身で従八位下という官位をもつ国の役人、村合水守公麻呂という人物が、昨年210日勤務し、この実績を舩稲と名乗る別の役人が確認したという内容です。
年間210日の勤務は現在のサラリーマンの勤務日数とほぼ同じくらいです。それにしても、54歳で従八位下という下級官人に甘んじた村合水守公麻呂とは、どんな人物だったのでしょう。身につまされる思いもよぎる木簡です。
左の2点は、地方から都に向けて貢進した荷物につけた札です。1つは表に「少林郷缶入清酒」裏に、「四斗志紀郡」と書かれています。つまり、志紀郡少林郷から清酒四斗を都に送ったという内容です。少林郷という地名が現在のどのあたりになるのか、正確には分かりませんが、おそらく藤井寺市林、あるいは道明寺の一画だろうと推定されています。
もう1点には、表「難酒志紀郡」裏に「田井郷缶入四斗ゝ升」と記されています。志紀郡田井郷から難酒四斗を送ったということです。田井郷は現在の八尾市田井中あたりが有力な候補地になっています。また、難酒の解釈はやや分かれていますが、どぶろくのように濁った酒、あるいはアルコール度の高い酒をさすといわれています。少林郷にしても田井郷にしても、藤井寺市のかいわいで都への貢進に値するおいしい酒が奈良時代に造られていたことを、この木簡ははっきり現代に伝えています。どんな味がしたのでしょう。飲んでみたい気がしてきました。

写真:平城宮出土の木簡(レプリカ)
(右:役人の勤務記録中・左:酒の荷札)(奈良文化財研究所提供)

『広報ふじいでら』第332号 1997年1月号より

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