皇朝十二銭の謎(No.83)

更新日:2017年07月08日

船橋遺跡から出土した古代の各種銭貨

おじさんの目は、隣の銭貨に移りました。「わたしこれ1枚もってますねん。戦後まなしのころ、大和川の河原で拾いましてん。日本で最初のお金ですよって大事にしてます。ところで何で12種類ものお金を造らなあかんかったんですか」おじさんが指さしたのは、和同開珎(わどうかいちん)でした。
和同開珎は、古代国家が初めて制度的に発行した金属製の貨幣でした。この貨銭が発行された708年は、平城京の造営が開始された年でもあります。つまり、政府のもくろみは、平城京造営という国家的プロジェクトの推進に、銭貨発行収入を当て込んだということであります。
和同開珎は確かに国家が発行した最初の貨幣でしたが、これに先立って無紋銀銭と呼ぶ銀製の小円板が、貨幣として存在していたことが知られています。この銀銭は、銀の地金の価値で流通していたのですが、新たに発行した銅銭は、製作コストよりもはるかに高い価値をつけたのです。
こうして、政府はこの銅銭を平城京造営費用の支払いに用いることで、財政危機を切り抜けようとしたのです。
ところが、計算どおりにことは運びませんでした。私鋳銭、つまり偽金造りが横行したのです。発掘調査でも平城京内で和同開珎の鋳型が見つかり、政府の目と鼻の先で私鋳銭が造られていたことが確かめられています。偽金の横行で和同開珎の価値はたちまち下落したのです。
偽金造りは、政府の予定した利益の横取りにほかなりません。その取り締りには死罪を含む厳罰をもってのぞみました。しかし、偽金造りを根絶やしにできなかったのが実態だったようです。
この問題を一挙に解決する手段として考え出されたのが、新銭の発行です。万年通宝という新しい銭貨を造り、私鋳銭の入り交じった和同開珎と区別しようとしたのです。
しかし、新銭の万年通宝も和同開珎と同じ問題がすぐにおきたのです。これ以降、政府は10から20年ごとに新銭の発行という対処を繰り返すことになるのです。つまり、私鋳銭の横行と新銭の発行が、まるでいたちごっごのように行われ、平安時代の注意1(カン)元大宝(958年初鋳)にいたるまで12種類もの銭貨が発行されたのです。

注意1:カンは卓におつにょうです
写真:船橋遺跡から出土した古代の各種銭貨(大阪府立弥生文化博物館提供)

『広報ふじいでら』第333号 1997年2月号より

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