埋葬施設が残っていた(No.13)

更新日:2013年12月19日

写真:見つかった円筒埴輪列と葺石

予想どおりに南側にも円筒埴輪列(えんとうはにわれつ)が見つかって、調査関係者はほっと一息入れました。それは、調査全体のイメージが予測可能になったと思ったからなのです。
調査は、円筒埴輪列と江戸時代の畑の跡、それに調査前に建っていた家屋の、便槽跡の大きな穴の掘り出しにかかりました。便槽の穴をようやく掘り上げたところで、壁に赤くさびた鉄の塊が露出していることに気がつきました。畑の跡は、南北に平行する幾筋もの溝として見つかったのですが、この溝の2箇所でも、やはり鉄さびが出ていることが分かりました。
「鉄が出た!」との興奮ぎみの報告を受けて、わたしは半信半疑で調査区に向かいました。古墳の上部はすでになくなっているので、内部施設などは残ってはいまいと、たかをくくっていたのです。現場に到着して、鉄さびの塊を観察していくうちに、驚きは、ほとんど恐怖に変わっていきました。鉄さびの一部の割れ口には、鉄を熱して打ち延ばして作った製品の特徴であるしま模様が鮮やかに表われていました。そして割れ口の形は扁平なひし形で、それが鉄剣であることを伝えていました。
自分の見通しの甘さを反省することは後回しにして、わたしは、今後の調査計画の軌道修正を迫られました。現場の状況は、鉄器を大量に含んだ、ほとんど手つかずの施設が地下に埋もれていることを示していました。しかし、同時にその施設の大きさや構造の把握は、決して容易ではないことも見て取れました。石や粘土を使った内部施設は、これを手掛かりに、施設全体の様子を比較的容易にとらえることが可能となるのです。ところが今回の内部施設には、石や粘土が使われた形跡がなく、調査の先行きに大きな不安材料を抱えることになったのです。とにかく、内部施設の大きさと構造をとらえることが、まず第一の緊急課題となったのです。
わたしは、この課題を達するために、三つの方法を取りました。一つは調査体制を充実すること、もう一つは学識経験豊かな研究者の意見を聴くこと、いま一つは、調査期間の延長などに対し、工事主体者の理解と協力を求めることでした。
一番目は、新人ながら熱心な専門職員を専属にし、局面に応じて係総動員の体制を準備しました。二番目は、古市古墳群の発掘調査をいくつも手掛けられ、現在古墳研究の第一人者でもある神戸商船大学の北野耕平先生にお願いすることにしました。

写真:見つかった円筒埴輪列と葺石

『広報ふじいでら』第263号 1991年4月号より

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