その歴史的意義1(No.21)

更新日:2013年12月19日

墓山古墳とその陪塚群

今回から2回に分けて、西墓山古墳の歴史的意義について考えてみたいと思います。ちょっと難しい話になるかもしれませんが、お付き合いを願います。
まず、西墓山古墳の発掘調査で明らかになった事実を、簡単に整理しておきたいと思います。西墓山古墳は、一辺18メートルの方墳で、墳端に円筒埴輪列をめぐらせ、斜面には葺石を施していました。古墳の中央部には、8×4メートルの大きな穴を掘り、内部に長さ6メートル、幅60センチの細長い木箱2つを東西に並べていました。東側の箱には、刀や剣といった200点を超える武器、西側の箱には、鍬や鎌、ヤリガンナといった農工具類2000点以上が納められていました。この施設は西墓山古墳のほぼ中心に作られており、人体を埋葬した痕跡は見当たりませんでした。
つまり西墓山古墳は、当初から人体の埋葬を目的とせず、鉄製品の埋納を目的とした「副葬用陪塚」として計画されたものと考えられるのです。
西墓山古墳の調査で明らかになった事実から、どのようなことが分かったのか、そして新たな疑問が生じたのか考えてみたいと思います。
西墓山古墳は「副葬用陪塚」であるということをいいましたが、ではその主の古墳はどれなのかということが、最初の問題になります。その第一候補としては、東側にある墳丘長225メートルの前方後円墳、墓山古墳が挙げられます。西墓山古墳と墓山古墳は、よく似た特徴の円筒埴輪を使用しており、墓山古墳の南側外堤の西への延長線上に、西墓山古墳が存在するという興味深い関係をうかがうことができます。したがって両者には、時間的な同時性と計画性を認めることができそうなのです。
だとすれば、西墓山古墳は、墓山古墳の附属施設と見なすことができます。したがって西墓山古墳に納められた大量の鉄器群は、墓山古墳の主の意図のもとに埋められた遺物と推定できます。
いうまでもなく、大前方後円墳墓山古墳の主は、5世紀前半に活躍した大王、もしくは彼にとってかわりうる実力者と考えられます。西墓山古墳とそこに納められた鉄器群は、5世紀の歴史を解き明かす鍵となる可能性を秘めているのです。

イラスト:墓山古墳とその陪塚群

『広報ふじいでら』第271号 1991年12月号より

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