城山発掘ものがたり(No.25)

更新日:2013年12月19日

明治末年の城山古墳

前2回は、城山古墳物語のプロローグとして、明治45年の石棺発掘の様子を、ドラマ仕立てで紹介しました。なにしろ古い出来事なので、正確な記録は残っていないのです。いろいろな資料を参考にしながら、発掘経過を物語り仕立てにして振り返ってみたいと思います。
物語を続けましょう。
翌朝Bさんは、いつもどおり隣のC君と連れ立って、城山古墳に向かいました。2人が城山古墳の頂上に着いたとき、すでに10人ほどの村人が待ち構えていました。Bさんは早速、大石の掘り上げ作業の段取りを皆に指示しました。昨日見た大石下の、赤い部屋を掘るためには、天井になっている大石を、まず動かす必要があったのです。大石はこれまでの作業で、3個以上あることが分かっていました。
村人たちは、いつもは農作業に使っている鍬や鋤を、巧みに操って、大石の上の土を取り除いていきました。地表には、草や木の根のはった腐食土があり、その下からは奇妙なことに、よく締まった粘土が出てきました。この粘土の層は、大石のすぐ上まで続いていました。Bさんにはこの粘土が自然にたまったものではなく、大石の上を覆うために、もってこられたもののように思われました。
いちばん端で作業を進めていたC君が、Bさんに近寄って来て報告しました。「おじさん、もう1枚石があるみたい」昨日見た部屋の大きさからして、合計5枚ぐらいの大石があるだろうと、Bさんは予測していました。作業の進行とともに、次々と新しい大石が見つかり、ついに7枚の大石が現れました。
7枚の大石は、長辺を接して一列に並べられていました。1枚の平均的な大きさは、長辺3メートル、短辺1.8メートルほどあり、厚みは30センチ程度と推測されました。Bさんは、石の合わせ目に顔を近づけました。合わせ目には、すき間なくぴったり引っつくように、丁寧に加工されていました。またこれらの大石は、石の質や大きさが揃っていて、そこらの自然石をかき集めたものではなく、どこかの石切り場から切り出されて、ここ城山に運び込まれたものであろうと考えました。
Bさんは皆の作業を見守りながら、推測しました。これらの大石を天井にした石壁の部屋は、少なくとも幅2.5メートル、長さ6メートル以上の大きさがあることになる。こりゃ想像を超える、とてつもないものが埋まっている可能性があるぞ。昨夜の不安は、いまや大きく膨らんだ好奇心のまえに、小さくしぼんでいくのが分かりました。

写真:明治末年の城山古墳(大阪府教育委員会提供)

『広報ふじいでら』第275号 1992年4月号より

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