石棺と石室の関係(No.30)

更新日:2013年12月19日

城山古墳の石槨構造図

河内における大石棺発見のニュースは、新聞社を通じて考古学者の耳に入りました。当時、学界の第一線で活躍していた多くの研究者が、城山古墳を次々と訪れました。
3月末には京都大学の梅原末治先生、4月に入ると東京大学の坪井正五郎先生、大道弘雄先生などです。Bさんたちは、先生がたの質問に答えたり、質問したり、求めに応じて、発掘も行いました。Bさんが先生がたとの応対で気がついたことがあります。それは専門家が共通して最も興味をもったことは、意外にも出土した品物より石棺そのものだったことです。
Bさんの関心事の一つに、石棺と石室の関係がありました。というのは、石室を築いてから石棺を納めるのが普通の順序だと思うのですが、城山の場合はその逆のように思えたからです。もう一つは、石棺の中から大きな板状の木片が出てきたことです。木片は腐ってなくなった分を考えると、石棺の中にさらに木の棺が入っていた勘定になるからです。そんなことがあったのでしょうか。
Bさんは、これらの疑問を城山を訪れた専門家の先生がたにぶつけてみました。Bさんの疑問に懇切丁寧に説明してくれた先生もあれば、おざなりに答えた先生もありました。第一の疑問は、ほぼ納得のいく答えが得られたのですが、木片については、木の棺を石棺内に入れていた証拠だという意見、遺体もしくは遺体と一緒に葬った品物を載せた台だろうという意見、そんなものが石室内にあるわけないという意見、といった具合に先生がたの見解が分かれました。この木片は専門の先生にもよく分からないものだということが分かりました。
一方、石室と石棺の関係ですが、こちらはかなりはっきりしたことが分かりました。先生がたの説明と現状を見比べると、石棺と石室の構築順序を次のように解釈することができました。まず、墳頂から大きな墓穴を掘り、その底を平らにならし、石棺の底石を据えます。次に底石の四方に4枚の側石を立てて、箱形に組み立てます。そして側石が外側に倒れないよう側石の中段あたりまで墓穴を埋め戻して固定します。埋め戻した上面には指先ほどのきれいな白石を敷き詰めます。板状の石材を積み上げた石室の構築は、この埋め戻した土の上、石棺の側石の中段あたりから始めているのです。こうした構造を考えると、これは石室というよりも石棺を保護する施設としたほうがいいのではないかとBさんは思いました。気分は考古学者でした。

図:城山古墳の石槨構造図(坪井正五郎「河内小山村城山古墳の調査(二)」『人類学雑誌』1912年 9月29日より)

『広報ふじいでら』第280号 1992年9月号より

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