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古市古墳群ってなに?

古市古墳群

大阪府の東南部、藤井寺市から羽曳野市にかけて、巨大な前方後円墳が集中してつくられたエリアがあります。これを古市古墳群とよんでいます。
古市古墳群には、前方後円墳31基、円墳30基、方墳48基、墳形不明14基、計123基から構成され、群中には墳丘長200メートル を超える巨大な前方後円墳6基を含んでいます。4世紀後半から6世紀中葉に形成されたことが知られます。
この古墳群の特色の一つは、墳丘長400メートルを超える巨大な前方後円墳、誉田御廟山古墳から一辺10メートルに満たない小型方墳まで、墳形と規模にたくさんのバラエティをもっていることです。奈良盆地に造られた前期の大型古墳群が、前方後円墳と前方後方墳で構成されていることを考えると、対照的な姿であります。
特色のその二は、墓室構造の変化があります。大王の墳墓と推定されるような巨大な前方後円墳には、兵庫県竜山付近で産する石を使った長持形石棺という組み合わせ式の石棺を納め、そのまわりを石で囲む竪穴式石槨という葬法が採用されたようです。前期古墳に共通する長大な割竹形木棺とそれをつつむ長大な竪穴式石槨はみられなくなります。ただ、古市古墳群の中・小型の前方後円墳、円墳や方墳には、初期の段階で長大な割竹形木棺を粘土で包む葬法が見られ、中ごろから後半には、箱形の木棺を直接墳丘に埋め込んだり、大陸伝来の横穴式石室を採用するようにもなります。
特色のその三は、古墳に納められる副葬品に鉄製品、なかでも武器や武具が目立つことです。前期の古墳の副葬品の主役だった鏡や腕輪形石製品は数が少なくなったり、副葬しなくなります。また鉄製品は、非常に数の多いことが知られています。たとえば、アリ山古墳や西墓山古墳に納められた鉄器の数は、それぞれ2,000点を超えているのです。
特色のその四は、金や銀を使ったきらびやかな製品が副葬品に含まれるようになることです。金メッキされた誉田丸山古墳や長持山古墳出土の馬具はその代表格です。また、この古墳群の後半につくられた峯塚古墳の出土品では銀製品が目立っています。
これらの特色を総合すると、古市古墳群は、大王を頂点にして、その親族および大王につかえた人々を中心に形づくられたことが考えられます。また、墳形や墓室構造の多様性は、葬られた人の生前の地位を古墳造りに反映させていたことの表れだと理解されます。さらに、副葬品に鏡や石製腕飾りが減り、鉄製の武器・武具、金銀製品が目立つ傾向は、大王が宗教的司祭者の立場から支配者としての実力を誇示するように変わっていったことを現しているようです。
4世紀の後半以降の大王の墳墓造りは、この古市古墳群と約10キロメートル西方の堺市百舌鳥古墳群を舞台に活発に展開されます。それまでの大王の墳墓造りは、奈良盆地の中で行われてきましたので、大王の墳墓が奈良盆地から大阪平野に移ったともいえます。この大王の墳墓の移動にはさまざまな議論があります。その一つは、河内勢力が力をつけ、大和勢力にとってかわって政権の地位についたという理解の仕方です。また一つは大和勢力がさらに力をえて河内に墳墓造りを進めた、とするものです。この謎をとくには河内勢力の前期から中期にかけての動向を遺跡や遺物からあとづけていくことが必要ではないでしょうか。
古市古墳群や百舌鳥古墳群に大王の墳墓と目される巨大古墳が造られるのは、5世紀を中心にする時間帯です。この時間帯はまさに中国文献に登場する倭の五王の時代と重なります。この5人の倭王の墳墓は古市古墳群と百舌鳥古墳群に築かれたのです。倭の五王は国内の政治的安定と東アジアの国際社会への雄飛を巨大な墳丘に託したのでしょうか。

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