現在の位置

前方後円墳

1 誉田御廟山(応神陵)

墳丘長(メートル):425 

所在地(市):羽曳野

参考文献:ガイド6、石川14

応神陵

誉田御廟山古墳(応神陵)は墳丘長425メートルで、堺市の大仙古墳(仁徳陵)に次ぐ全国第2位の墳丘長を測ります。また、古墳の表面積や体積では大仙古墳を上回り全国一の巨大古墳です。
前方部を北北西に向け、墳丘は三段築成で、くびれ部両側に方壇状の造出しを備え、濠と堤を二重にめぐらせています。墳丘や内・外堤の斜面には葺石が施され、円筒埴輪が確認されています。
埴輪はすべて窖窯で焼成された製品です。円筒埴輪は基部の径が40センチメートル前後の大型品が多く、形象埴輪には家・蓋・靱・水鳥・馬形等があり、蓋形木製品や各種魚形土製品も出土しています。
築造年代は、埴輪の特徴から5世紀前半代に比定されます。なお、後円部南側に現存する誉田八幡宮の境内には長持形石棺や石槨の一部と推測される石材が残されており、本墳から出土したものと考えられ、内部の様子をうかがうことができる重要な資料です。

2 仲津山(仲津媛陵)

墳丘長(メートル):290 

所在地(市):藤井寺

参考文献:ガイド6、石川2・3・4・5・8・9・14・16

仲津山古墳

国府台地の最高所に築造された墳丘長290メートルの前方後円墳で、古市古墳群内では誉田御廟山古墳(応神陵)に次ぐ墳丘長を測り、全国でも8、9番目の大きさを誇ります。
前方部を南西に向け、墳丘は三段築成で、くびれ部両側に方壇状の造出しを備え、幅が狭く深い濠と幅広の堤を周囲にめぐらせています。
内部施設や副葬品について詳細は不明ですが、石棺が存在することや勾玉が出土したことが伝わっています。また、外堤上では発掘調査が頻繁に実施され、前方部前面側の調査では円筒埴輪列が確認されたほか外堤外法面に葺石が施されていることがわかりました。
堤から出土した埴輪には、円筒埴輪のほか蓋・盾・靱等の形象埴輪があります。
築造年代は、埴輪の特徴から5世紀前半代に比定され、誉田御廟山古墳(応神陵)出土埴輪よりも古い様相をうかがうことができます。

3 岡ミサンザイ(仲哀陵)

墳丘長(メートル):242 

所在地(市):藤井寺

参考文献:ガイド6、石川2・3・5・14

仲哀陵

羽曳野丘陵の北東部外縁に築造された墳丘長242メートルの前方後円墳です。平成8年に実施された宮内庁による発掘調査で、墳丘は中世に城郭として利用され、大規模な改変を受けており、古墳本来の姿を大きく失っていることがわかりました。
前方部を南南西に向け、墳丘は三段築成で、くびれ部東側のみに造出しを備え、主軸線上で幅50メートルを測る幅広の濠と堤を周囲にめぐらせています。
内部施設や副葬品については不明ですが、外堤上で実施された発掘調査では円筒埴輪列が確認されています。また、東側外堤上では、濠の掘削に伴う湧水を段丘崖に排水するため開削されたと推定される大規模な溝が検出され、大型前方後円墳の築造過程を理解する上で重要な成果を得ています。
墳丘と外堤から出土した埴輪は共通の特徴をもち、窖窯で焼成された製品で、円筒埴輪のほか盾等の形象埴輪が出土しています。
築造年代は、埴輪の特徴から5世紀後葉から末頃に比定され、市野山古墳(允恭陵)よりも新しくボケ山古墳(仁賢陵)よりも古い様相をうかがうことができます。

4 市野山(允恭陵)

墳丘長(メートル):230 

所在地(市):藤井寺

参考文献:ガイド6、石川2・3・4・5・6・7・8

允恭陵

国府台地の北端に築造された墳丘長230メートルの前方後円墳です。墓山古墳や茨木市の太田茶臼山古墳(継体陵)ときわめてよく似た規模と平面プランで、その整美な外観は古墳時代中期の代表的な墳形といわれています。
前方部を北に向け、墳丘は三段築成で、くびれ部両側に造出しを備えています。周囲には幅25~30メートルの内濠と外堤、さらにその外側に溝をめぐらせています。外側の溝は後円部や前方部側では確認されていないため、全周しない可能性があります。
内部施設や副葬品については不明で、外堤上で円筒埴輪列は確認されていませんが、外側の溝から埴輪が出土しています。
出土した埴輪は、窖窯で焼成された製品で、円筒埴輪のほか家・盾・靱・蓋・人物等の形象埴輪が出土しています。
築造年代は、埴輪の特徴から5世紀中葉から後葉に比定され、誉田御廟山古墳よりも新しく岡ミサンザイ古墳よりも古い様相をうかがうことができます。

5 墓山

墳丘長(メートル):225 

所在地(市):羽曳野

参考文献:ガイド6、石川3・12、西墓山古墳

墓山古墳

古市古墳群のほぼ中央に位置し、墳丘長225メートルを測り、古市古墳群内で5番目の規模を誇る大型前方後円墳です。現在、墳丘は「応神天皇陵」の「陪冢」として宮内庁に管理されています。
前方部を西に向け、墳丘は三段築成で、くびれ部両側に方壇状の造出しを備えています。周囲には幅約15メートルの濠と幅約37メートルの堤をめぐらせ、市野山古墳(允恭陵)や茨木市の太田茶臼山古墳(継体陵)ときわめてよく似た規模と平面プランです。
後円部頂には格子目を刻んだ竜山石製の石棺の蓋石が露出していたことが報告され、津堂城山古墳や奈良県御所市の室大墓古墳と同様の石棺が用いられたと推測されます。また、後円部頂から出土したと伝えられる多量の滑石製勾玉や家・盾・靱・短甲等の形象埴輪が宮内庁に保管されています。
前方部南側の外堤で実施された発掘調査では堤内側の斜面に葺石が施されていることが確認され、転落した円筒埴輪や盾・人物等の形象埴輪が出土しています。
出土した埴輪、石製品や石棺の特徴から築造年代は、5世紀前半代に比定されます。

6 津堂城山

墳丘長(メートル):208 

所在地(市):藤井寺

参考文献:ガイド6・12、石川2・4・5・6

津堂城山古墳

羽曳野丘陵の最北端に位置し、古市古墳群の中では初期に築造された大型前方後円墳で、墳丘長は208メートルを測ります。室町時代に「小山城」が築城されたことなどにより、墳丘はかなり削平をうけていますが、墳丘の裾部は旧状をよくとどめています。
前方部を南西に向け、墳丘は三段築成で、くびれ部両側に方壇状の造出しを備えています。周囲には二重の濠と堤をめぐらせていることが発掘調査によって確認されています。
 1912年に後円部頂の竪穴式石槨から蓋石に亀甲文を刻んだ長持形石棺が発見されました。石棺の内外からは鏡や巴形銅器などの銅製品、硬玉製勾玉や石製腕飾類などの石製品、素環頭刀身や三角板革綴式短甲などの鉄製品が出土しています。
1983年に東側内濠で実施された発掘調査では一辺17メートル、高さ1.5メートルを測る方墳状の施設が検出され、斜面の上部には3基の水鳥形埴輪(重要文化財)が配置されていました。その他、発掘調査では円筒埴輪や家、蓋、衝立、盾などの形象埴輪が出土しています。
築造年代は、埴輪や石棺及び副葬品の特徴から4世紀後半に求められます。

7 軽里大塚

墳丘長(メートル):190 

所在地(市):羽曳野

参考文献:ガイド6

軽里大塚

羽曳野丘陵から東側に延びる低い舌状の尾根に築造された前方後円墳で、墳丘長は190メートルを測ります。宮内庁により「日本武尊白鳥陵(やまとたけるのみことはくちょうぼ)」に治定され、墳丘は精美な姿で残っています。
前方部を西に向け、墳丘は三段築成で、くびれ部両側に造出しを備えています。周囲には幅約35メートルの濠と上面幅21メートルの堤をめぐらせていることが羽曳野市教育委員会の発掘調査によって確認されています。墳形は前方部幅が後円部径の約1.5倍で、高さも前方部が3メートル高い特徴があります。
1981年に宮内庁によって実施された墳丘裾崩壊箇所の発掘調査では、後円部の円筒埴輪列が確認されたほか、朝顔形埴輪や家、蓋などの形象埴輪が出土しています。
円筒埴輪は市野山古墳(允恭陵)と同様な特徴が見受けられ、築造年代は5世紀後葉頃に比定されます。

8 野中宮山

墳丘長(メートル):154 

所在地(市):藤井寺

参考文献:ガイド6、石川2・4・8・7

野中宮山古墳

洪積段丘上に築造された墳丘長154メートルの前方後円墳です。墳丘は後世の改変が著しいため築造当初の姿をイメージすることは、きわめて難しくなっています。
前方部を西に向け、墳丘は三段築成です。周囲には濠と堤をめぐらせ、さらに堤の外側には区画用と目される溝が掘削されていることが発掘調査によってわかりました。墳形は前方部長が後円部径に比して短くかつ幅の狭い「柄鏡形」を呈すること、前方部が後円部より約4メートル低いこと、堤が墳丘に沿って前方後円形であることなどが古い要素として挙げられます。
後円部頂には板石が散乱していることから竪穴式石槨が存在しているものと推測されます。副葬品は板状の銅製品の出土が伝わっている以外、詳細は不明です。
1984・85年の発掘調査によって墳丘には葺石が施されていること、後円部では円筒埴輪列がめぐることが確認されました。また南側のくびれ部では造出しが検出され、壺形埴輪が列状に配されていることや家、蓋、盾、囲み、水鳥、鶏、馬、猪などの形象埴輪が出土しています。
円筒埴輪の特徴や形象埴輪の組成から、築造年代は5世紀前半に比定されます。

9 古室山

墳丘長(メートル):150 

所在地(市):藤井寺

参考文献:ガイド6、石川2

古室山古墳

国府台地の西端縁辺に築造された前方後円墳で、墳丘長は150メートルを測ります。墳丘は後世の改変をさほど受けておらず、築造当初の優美な姿を今に伝えています。
前方部を北東に向け、墳丘は三段築成で、造出しはくびれ部東側のみに残存しています。また、前方部の北側にある高まりは堤の一部です。
内部構造や副葬品について詳細は不明ですが、後円部頂に板石が散乱していることから竪穴式石槨が存在しているものと推測されます。
1984・85年に発掘調査が実施され、墳丘と堤の内側斜面に葺石を施していることなどがわかりました。出土した埴輪は円筒埴輪のほかに蓋形埴輪があります。
円筒埴輪の特徴から北東に隣接する仲津山古墳(仲津姫陵)とほぼ同時期に築造されたものと考えられます。

10 ボケ山

墳丘長(メートル):122 

所在地(市):藤井寺

参考文献:ガイド6、石川17

ボケ山古墳

ボケ山古墳(仁賢天皇埴生坂本陵)は墳丘長122メートルで、前方部を南西に向けた前方後円墳です。くびれ部のやや前方部寄りに造出しをもち、周囲には濠と堤をめぐらせています。
後円部の幅や高さに対して前方部のそれが大きく上回る平面形態を呈し、古市古墳群の中では新しい時期の特徴を見出すことができます。
墳丘の外表施設や内部施設は不明ですが、堤上から出土した円筒埴輪は6世紀前葉に比定されます。
1981年に前方部北西側外堤に接する斜面で実施された羽曳野市教育委員会による発掘調査では、二基の埴輪窯跡が検出されました。窯跡から出土した埴輪は堤上から出土したものとほとんど特徴に差がなく、窯跡の構築がボケ山古墳の築造を契機としてなされたことがわかりました。大王墓の築造に伴う埴輪の製作と供給のプロセスを明らかにする上で、極めて重要な成果といえます。

11 高屋城山

墳丘長(メートル):122 

所在地(市):羽曳野

参考文献:ガイド6

12 白髪山

墳丘長(メートル):115 

所在地(市):羽曳野

参考文献:ガイド6

13 二ツ塚

墳丘長(メートル):110 

所在地(市):羽曳野

参考文献:ガイド6

14 大鳥塚

墳丘長(メートル):110 

所在地(市):藤井寺

参考文献:ガイド6、石川3

15 はざみ山

墳丘長(メートル):103 

所在地(市):藤井寺

参考文献:ガイド6、石川5

16 峯ケ塚

墳丘長(メートル):96 

所在地(市):羽曳野

参考文献:ガイド6

17 高屋八幡山

墳丘長(メートル):85 

所在地(市):羽曳野

参考文献:ガイド6

18 盾塚 :墳丘消失

墳丘長(メートル):72 

所在地(市):藤井寺

参考文献:ガイド6

19 鉢塚

墳丘長(メートル):60 

所在地(市):藤井寺

参考文献: ガイド6、石川12

20 唐櫃山 :墳丘消失

墳丘長(メートル):53 

所在地(市):藤井寺

参考文献:ガイド6

21 蕃上山 :墳丘消失

墳丘長(メートル):53 

所在地(市):藤井寺

参考文献:ガイド6

22 稲荷塚

墳丘長(メートル):50 

所在地(市):藤井寺

参考文献:ガイド6、石川12

23 鞍塚 :墳丘消失

墳丘長(メートル):48.5 

所在地(市):藤井寺

参考文献:ガイド6

24 水塚 :墳丘消失

墳丘長(メートル):47

所在地(市):羽曳野

25 小白髪山

墳丘長(メートル):46 

所在地(市):羽曳野

参考文献:ガイド6

26 今井塚(挟山1号) :墳丘消失

墳丘長(メートル):34 

所在地(市):藤井寺

参考文献:ガイド6、石川12

27 矢倉(野々上1号) :墳丘消失

墳丘長(メートル):33 

所在地(市):羽曳野

参考文献:ガイド6

28 軽里3号 :墳丘消失

墳丘長(メートル):30 

所在地(市):羽曳野

参考文献:ガイド6

29 次郎坊2号(林9号) :墳丘消失

墳丘長(メートル):20 

所在地(市):藤井寺

参考文献:ガイド6

30 西代1号 :墳丘消失

墳丘長(メートル):19.6 

所在地(市):藤井寺

参考文献:石川11

31 軽里4号 :墳丘消失

墳丘長(メートル):18.2 

所在地(市):羽曳野

参考文献: ガイド6

お問い合わせ
教育委員会事務局教育部 文化財保護課
〒583-8583
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電話番号:072-939-1111 (代表)
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