長持山古墳の石棺

更新日:2015年09月24日

(左)復元された2基の石棺(右)騎馬戦に適したよろい(挂甲)とかぶと(長持山古墳:京都大学総合博物館)

(左)復元された2基の石棺
(右)騎馬戦に適したよろい(挂甲)とかぶと(長持山古墳:京都大学総合博物館)

道明寺小学校内に、2基の石棺が展示されています。では、大阪府の有形文化財に指定されているこの石棺と、それが納められていた長持山古墳について紹介します。

長持山古墳は、現在の道明寺小学校の北東にあった円墳です。墳丘は、直径約40メートル、高さ約7メートルありました。2基の石棺は、それぞれ1号石棺、2号石棺と呼ばれています。長持山古墳が造られ、石棺が納められたのは5世紀後半のことです。そして、石棺に葬られた人物は、東に接する同時期の前方後円墳、市野山古墳の被葬者と密接な関係があったと思われます。
明治の初めごろ、日本に滞在していたイギリス人ウイリアム・ガウランド氏は、日本の古墳についての研究論文の中で、長持山古墳についてもふれています。それには、2号石棺について、同古墳の「頂上に(中略)ほぼ全形を露出して」いる様子が、写真入りで報告されていました。
その後、昭和21年(1946年)に、大阪府教育委員会と京都大学が発掘調査を行い、すでに墳丘上に露出していた2号石棺の北側から、新たに1号石棺を発見しました。
1号石棺は、川原石を積み上げて壁をつくり、天井も石で蓋をした竪穴式石槨という施設に覆われていました。そして、石槨内からは装身具・武器・武具・農工具・馬具など、副葬された様々な品物が見つかりました。
ここで、2基の石棺について詳しくみてみましょう。これらは、阿蘇溶結凝灰岩という、阿蘇山の噴火でできた柔らかい石を、工具を用いて刳り貫いてつくられています。いずれも家形石棺と呼ばれるものですが、1号石棺と2号石棺の形を比べると、様々な違いのあることが分かります。
1号石棺は、傾斜の強い屋根の形をした蓋と舟底の形をした身からなっています。そして、身と蓋の小口には一対の縄掛け突起がつくり出されています。
これに対して、2号石棺は蓋の傾斜が1号石棺よりもゆるやかになっています。身も舟底の形のような丸みが少なくなり、四角い箱のような形に見えます。また、縄掛け突起は蓋の長辺側に二対計四個つくり出されており、これも1号石棺とは異なります。
2基の石棺のこれらの違いはつくられた時期の違いを現わしています。そして、まず1号石棺がつくられて納められ、後から2号石棺がつくられて納められたと考えられるのです。
2基の石棺は、平成4年から5年にかけて修復作業と保存処理が行われ、現在の展示施設がつくられました。

教育広報『萌芽』第19号:平成11年8月号より

※長持山古墳から出土した2基の石棺は、現在、移設作業中のため、展示公開していません。

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