藤井寺市の歴史

更新日:2016年03月31日

古代

 藤井寺市は、古代文化発祥の地であり、金剛・和泉山系に源を発する石川と大和盆地から流出する大和川との合流点の西側には段丘地形が発達し、この段丘面に巨大な古墳が築造されました。

 市北東部の国府は、先土器時代より旧石器文化の栄えた所で、大化の改新(645年)以後は、「河内国府」が設置され、名実とも河内の中心地でした。

 古代においては、河内と大和を結ぶ大津道(長尾街道)や丹比道(竹の内街道)の要地として栄え、平安時代末期から鎌倉時代に移ると、清和天皇の子孫である源頼信が土着して「河内源氏」の祖となり、以来当地を基盤に活躍しました。

 この頃から各地に荘園が作られ、同地区には大和国興福寺領「岡荘」が形成されました。

室町時代

 室町時代から戦国時代においては、河内国は畠山氏の守護国となり、戦国期には、畠山氏の家臣らによって津堂城山古墳上に「小山城」が築城されました。

 この頃より、村落が地域的に結合した郷村制が発展し、庶民の生活の基盤となりました。

 また、観音信仰が盛んになるにつれ、西国三十三カ所五番札所である葛井寺の門前町として発展しました。

 一方、天神信仰の浸透は後の道明寺天満宮の信仰へと発展していきました。

江戸時代

 江戸時代には、大名領、旗本領、寺社領が複雑に入り組み、支配は一律ではありませんでしたが、中世以来の村落相互の自治的なつながりは、水利組織や宮座組織を通じて維持されていきました。

 当時は堺の経済商業圏に入っており、堺へ通じる長尾街道はかなり繁栄しました。

 一方、藤井寺市の地理的条件、自然環境を一変させた大和川付替工事は、宝永元年(1704年)に完成し、新大和川が天井川となり、石川合流点から西へ流れ大阪湾に注ぐようになりました。

明治時代

 明治期に入り、明治22年(1889年)に村落合併が行われ、野中、藤井寺、岡が「長野村」、志紀郡小山、丹北郡小山、津堂が「小山村」、道明寺、国府、船橋、北條、大井が「道明寺村」、沢田、古室、林が「沢田村」となりました。

 その後、同23年(1890年)に道明寺、沢田が両村合併により「道明寺村」となり、同29年(1896年)に長野村が「藤井寺村」と改称し、大正4年(1915年)に藤井寺、小山が両村合併により「藤井寺村」となり、現在の藤井寺市の基礎が形成されました。

昭和時代

 昭和3年(1928年)、藤井寺村が町制を施行し「藤井寺町」に、同26年(1951年)には道明寺村が町制を施行し「道明寺町」となりました。

 同34年(1959年)に両町が合併して「藤井寺道明寺町」となり、翌年町名を「美陵町」と改称、同41年(1966年)11月1日に「美陵市」として市制を施行し、同日市名を「藤井寺市」と改称しました。

市名の由来

 藤井寺の市名の由来は、もちろん名刹「葛井寺」(フジイデラ)から引用されていますが、この寺の由来が同時に土地の歴史の―面をよく物語っています。

 寺伝によると天平の初期、河内葛井の里にいた百済王族の子孫‐葛井給子の旧跡に、聖武天皇が勅願によって寺院を創建され、稽文会父子(春日仏師)に勅命して千四十二臂を備えた"千手観音"を作らせ、神亀2年(725年)藤原房前を勅使に任命し、僧行基に導師をつとめさせ開眼供養したと記されています。

 しかしこれを忠実に照応すると王氏一族の白猪史(シライノフヒト)が元正天皇の養老5年(721年)に河内恵我長野邑(藤井寺近辺の旧名)に土地をたまわり、名も「葛井連(フジイノムラジ)」と改め、本拠地としていた。

 葛井連の親族には柏原国分や羽曳野市野々上から伊賀・南宮・北宮・島泉・小山・津堂附近にかけて分散居住していた船史(フナノフヒト)や津史(ツノフヒト)があり、いずれも帰化系の文化人でした。

 つまり藤井寺は前記の葛井連一族が聖武天皇の仏教興隆政策に積極的に協力し朝廷からの補助を受け氏寺として建立し、落慶法要には聖武天皇も行幸されたものと思われます。

 その後、堀河天皇の永長元年(1096年)大和国軽里の住人、藤井安基が葛井寺を訪れ、荒廃しているのを見てなげき各地より浄財を集めて再建に成功、よって安基の苗字をとって藤井寺と村名を改めたといわれています。

藤井寺市の歩み

藤井寺市の歩み組織図の画像

鉄道の発展

 一方、藤井寺市の発展に大きく寄与した鉄道路線は明治22年(1889年)に大阪湊町~柏原間(現JR関西本線)、同31年(1898年)に柏原~古市間が開通し、翌32年(1899年)に河南鉄道に引き継がれ、同35年(1902年)河内長野にまで延長されました。

 その後、大正12年(1923年)に河南鉄道を改称した大阪鉄道(現近畿日本鉄道)によって道明寺~阿部野橋間が開通したことにより、本格的な住宅開発が進むこととなりました。

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