文献史料と巨大古墳(No.43)

更新日:2013年12月19日

奈良県最大の丸山古墳

これまでに奈良・大阪の大型古墳群の動向をざっと見てきたのですが、ここでたくさんの古墳の中から「大王」の古墳を選び出すことができるのか、また、できるとすればどのような条件がキーポイントになるのかという問題を考えてみたいと思います。
もちろん、葬られた人物に関する氏名、生年、没年や生前の活躍などを記録した「墓誌」が古墳に入れられていれば、問題は即座に解決するのです。10年ほど前になるでしょうか、奈良県で太安万侶のお墓が見つかり、大々的に報道されましたが、これはお墓に「墓誌」が入っていたので安万侶の墓であることがはっきり分かったのです。
ところが、日本で「墓誌」を入れる風習は、どうも7世紀をさかのぼることはないようです。したがって、古墳から「墓誌」が出土することに大きな期待はできないのです。
また、『古事記』『日本書紀』あるいは『延喜式諸陵寮』といった古文献には、歴代天皇の陵地の記録があります。現在の陵墓はこういった文献を参考資料に決められたのですが、これにはいくつもの疑問点があります。
一例を挙げれば、最近、巨大な横穴式石室の写真が公開されて注目を集めた見瀬丸山古墳は、奈良県で最大の前方後円墳でありながら天皇陵に指定されていないのです。つまり、文献から大王陵を特定することは、なかなか難しいことを端的に示しています。
では、考古学からどのようなことが分かるのかということになります。古墳時代に全国で造られた前方後円墳のうち、墳丘長が200メートルを超えるものは40数基を数えます。これらのすべてを「大王」の古墳とすることはできません。そこで巨大な前方後円墳を造られた年代順に整理して考える必要が生じます。
この整理作業には、最近進展が著しい円筒埴輪の編年研究の成果を活用することができます。立命館大学の和田晴吾教授は、副葬品の分析も加味して前方後円墳が造られた時代を11に区分することを提唱されています。
和田教授の区分にしたがって巨大な前方後円墳を整理していくと、いくつかのことが分かってきました。その一つは、各期に飛び抜けて大きい前方後円墳が1ないし2基あるということです。これらが、大王の古墳であることを決めつけても大きな異論はでないと思うのです。

写真:奈良県最大の丸山古墳(橿原市教育委員会提供)

『広報ふじいでら』第293号 1993年10月号より

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