大王墳のリスト(No.44)

更新日:2017年07月08日

北摂に築かれた大王墳、今城塚古墳

各期において、圧倒的な規模を誇る前方後円墳としては次のような巨大古墳をリストアップすることができるでしょう。
1期の箸墓古墳(大和東南部)、2期の西殿塚古墳(大和東南部)、3期の渋谷向山古墳(大和東南部)と五社神古墳(大和北部)、4期の宝来山古墳(大和北部)、5期の佐紀石塚山古墳(大和北部)、6期の仲津山古墳(河内東南部)と百舌鳥陵山古墳(和泉北部)、7期の誉田御廟山古墳(河内東南部)、8期の大仙古墳(和泉北部)と土師ニサンザイ古墳(和泉北部)、9期の岡ミサンザイ古墳(河内東南部)、10期の河内大塚山古墳(河内西南部)、11期の見瀬丸山古墳(大和南部)の合計14基であります。
さらに10期の今城塚古墳(摂津北部)と11期の平田梅山古墳(大和南部)は墳丘長が190メートルと140メートルと絶対値では、さほど大きくはないのですが、古墳規模が全体的に縮小傾向にある時期の前方後円墳としては、傑出した規模を誇っており、大王墳の有力な候補に加えることができると考えます。
逆に、6期の市庭古墳(大和北部)・墓山古墳(河内東南部)、7期のウワナベ古墳(大和北部)・ヒシャゲ山古墳(大和北部)・太田茶臼山古墳(摂津北部)、8期の市野山古墳(河内東南部)などは、墳丘長の数値からみると、大王墳として十分な規模をもっているのですが、ややためらうところがあります。それは、6期から8期は、古墳の規模が最も大きくなる時期にあたり、これらの古墳が必ずしも突出した規模とは評価しえないと思うからなのです。
また、墳丘の規模という点ではやや劣るものの新しい墳丘企画を実現し、以降の大王墳の墳丘形態に影響を与えた画期的な古墳も大王墳の有力な候補とすることが可能であろうと考えています。
これには、墳形を鍵穴形に変え、階段状に完周する水濠をめぐらせた行燈山古墳(大和東南部)、周濠を盾形に変え、前方部両側に方形の突出部を設け、くびれ部の周濠内に特殊墳丘を配した佐紀陵山古墳(大和北部)、佐紀陵山古墳の特殊墳丘を造出しに、前方部の方形突出部を濠内特殊墳丘に改作し、広大な二重周濠・周堤を実現した津堂城山古墳(河内東南部)、前方部前端部が張り出し、剣菱形と呼ぶ特異な墳丘を創出した鳥屋ミサンザイ古墳(大和南部)を注目しています。

写真:北摂に築かれた大王墳、今城塚古墳(高槻市教育委員会提供)

『広報ふじいでら』第294号 1993年11月号より

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