大王墳の変遷(No.45)

更新日:2013年12月19日

奈良・大阪の主要前方後円墳編年表

なお、柄鏡の形をした墳丘を初めて造り出した外山茶臼山古墳(大和東南部)とメスリ山古墳(大和東南部)をどう考えるかは、なかなか迷うところです。つまり、新しい墳丘の企画に力点をおくのか、墳丘の形が以降の巨大な前方後円墳へ継続しないことに注目するかによって評価が違ってくるのです。ここでは両墳の築造時期が、2期の西殿塚古墳から3期の行燈山古墳への過渡期にあることを考えて、大王墳の候補に加えたいと思います。
こうして大王墳の候補を絞り込んでいくと箸墓古墳に始まり、見瀬丸山古墳に終わる、22代の大王墳を選び出すことができたのです。
上の図を参考にしながら、大王墳の造られた地域の移り変わりを整理してみましょう。まず、大和東南部(箸墓→西殿塚→外山茶臼山→メスリ山→行燈山→渋谷向山)に始まり、大和北部(五社神→宝来山→佐紀陵山→佐紀石塚山)に移ります。次いで大阪平野に移り、古市・百舌鳥古墳群に交互に大王墳が造られます。すなわち、古市(津堂城山→仲津山)、百舌鳥(百舌鳥陵山)、古市(誉田御廟山)、百舌鳥(大仙→土師ニサンザイ)、古市(岡ミサンザイ)であります。その後、大王墳は一旦大和(鳥屋ミサンザイ)に戻りますが、突如摂津北部(今城塚)に移動します。次いで、百舌鳥と古市の中間地(河内大塚山)に造られ、再び大和南部(平田梅山→見瀬丸山)に帰り、巨大な前方後円墳の築造は終わるのです。

図:奈良・大阪の主要前方後円墳編年表

『広報ふじいでら』第295号 1993年12月号より

お問い合わせ

教育委員会事務局教育部 文化財保護課
〒583-8583
大阪府藤井寺市岡1丁目1番1号 市役所6階65番窓口
電話番号:072-939-1111 (代表)
072-939-1419 (文化財担当、世界遺産担当)
ファックス番号:072-952-9507

みなさまのご意見をお聞かせください
このページの内容は分かりやすかったですか。
このページは見つけやすかったですか。