古墳群の構成原理(No.49)

更新日:2013年12月19日

空から見た大和古墳群

では、古墳群の構成原理の違いとは具体的にどのような内容を指しているのかを説明する必要があるでしょう。
まず、大和古墳群からみていくことにしましょう。この古墳群は19基の前方後円墳、前方後方墳、円墳から構成されています。後期古墳の可能性のある古墳をのぞくと、すべて前期の前方後円墳と前方後方墳から成り立っていることが知られます。
これらの前期古墳は、最大の西殿塚(にしとのづか)古墳が墳丘長219メートル、最小の火矢塚(ひやづか)古墳が墳丘長49メートルを測り、古墳の大きさにかなりのばらつきがあることが分かります。つまり、大和古墳群の群構成は、墳形や規模のバラエティに富むのです。
一方、玉手山古墳群はどうでしょう。前期の前方後円墳は14基を数え、数の点では大和古墳群と遜色がありません。ところが、そのほとんどは、墳丘長が100メートル以内にとどまっていて、大きな差のないことが注意されるのです。
玉手山古墳群は、4ないし5系列の首長が政治的な同盟関係を基礎に玉手山丘陵を共同の墓地として古墳造りを行なったのです。その首長相互には、古墳の墳形や規模を見るかぎり、力の優劣はあまりなかったと推測されるのです。
首長の力の優劣が古墳の墳形や規模に反映していると見なすならば、大和古墳群は、西殿塚古墳のような大王墳を頂点にして、階層的な古墳群構成をとっていると解釈することが可能でしょう。
大和古墳群が大王を頂点とする階層的な構成の古墳群に対し、玉手山古墳群は均質的な構成による古墳群と評価することができるのではないでしょうか。
大和古墳群と玉手山古墳群は同じ前期の前方後円墳を主とする古墳群ですが、群の構成原理には、かなりの違いがあることがお分かりいただけたでしょうか。
堅苦しい説明に頁数をとってしまいました。しかし、それは、玉手山古墳群の存在が古市・百舌鳥古墳群の成立と、その後の展開に大きくかかわっていると考えているからなのです。
河内の代表的な前期古墳群の玉手山古墳群と、大和の代表的な前期古墳群の大和古墳群を比較すると、両者の量的・質的な差異は歴然としています。結論からいうと、古市・百舌鳥古墳群の成立を河内勢力の台頭に求めるのは困難であろうと判断しているのです。

写真:空から見た大和古墳群(天理市教育委員会提供)

『広報ふじいでら』第299号 1994年4月号より

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