平田梅山古墳の発掘調査2(No.96)

更新日:2013年12月19日

奈良県平田梅山古墳の墳丘裾の貼石

平成9年11月27日近鉄「飛鳥」駅に集合した14の歴史系学会の代表40名は、平田梅山古墳(欽明天皇陵)に向かいました。
一行は10分ほどで平田梅山古墳に到着しました。前方部側の堤から墳丘を眺めると、墳端にいくつものトレンチがうがたれ、葺石が出ている光景が目に飛び込んできました。
早速、宮内庁の調査担当官の先導で、17ヶ所のトレンチをめぐることになりました。前方部前面の各トレンチでは、見事な葺石が掘り上がっていました。よく見ると、古市古墳群でよく見る葺石とは、だいぶ様子が違っています。違いの一つは、使っている石が平田梅山古墳の方が一回り以上大きいということ。もう一つは、石の並べ方が違うということだったのです。
特に後者は重要です。典型的な葺石は、石の長軸を墳丘に差し込むように施します。対して平田梅山古墳の葺石は、石の平坦面を上にし、墳丘表面を覆うように施しているのです。これは石舞台古墳などで知られる貼石に近いものだったのです。
トレンチめぐりが南西角を曲がって、前方部側辺にいたると様子が一変しました。貼石がまったく原形をとどめていないのです。貼石の用材は、すべて地表に散乱しているのです。担当官の説明では、農業用水確保のために行われた近世の濠の拡幅工事によって、貼石が破壊されたのであろうとのことでした。
トレンチめぐりは終盤になり、後円部にいたりました。不思議だったのは、墳端の破壊度が前方部側辺と変わらないのに、貼石用材の散乱が極端に少ないことです。
ここで前方部前面の貼石が、古墳築造時のものかという問題を考えてみようと思います。まず、出土遺物ですが、これには少量の土師器、須恵器が見つかっています。しかし、出土状態から古墳の築造時期を示すものは残念ながら皆無でした。また、貼石の下の地層からも遺物は見つかっていないために、遺物から時期を求めることはできなかったのです。
担当官そして参加した大多数の研究者は、この貼石を築造時のものと考えられていました。しかし、わたしは次の点から慎重に考えています。
一番目は、時期を決定する遺物がない。二番目は、前方部前面の貼石下の土層と土質が築造時までさかのぼらない印象がある。三番目、後円部に貼石の痕跡がない。という点です。つまり、前方部側の貼り石およびその用材の集積は、幕末の大規模な修陵による可能性はないかという懸念なのです。
ということで、当初、期待したような二つの欽明陵問題への決着は、先送りとなったのです。

写真:奈良県平田梅山古墳の墳丘裾の貼石

『広報ふじいでら』第346号 1998年3月号より

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