阪南市向出縄紋遺跡の見学(No.98)

更新日:2013年12月20日

土につきささった状態でみつかった石棒

縄紋時代の大変な遺跡が見つかった、と人伝えに聞きました。どんなふうに大変なのか聞き直してもどうも要領を得ません。
青森県の三内丸山遺跡が見つかって、縄紋時代のイメージが大きくふくらんできました。最近は縄紋遺跡への関心が高まってきています。ところが、西日本の縄紋遺跡は、東日本と比べて、数や規模の点で劣るといわれています。三内丸山遺跡のような遺跡は東日本のことで西日本では関係ないよ、というのが研究者の一般的な受け止め方でした。
そこで大阪の南部で大変な縄紋遺跡が見つかったというので、大いに好奇心をかきたてられたのです。取り急ぎ現場に行くことにしました。
遺跡は向出遺跡といって阪南市にあり、第二阪和国道の延長予定地の発掘調査で見つかったのです。山中川と菟砥(うど)川にはさまれた台地の上に遺跡が営まれています。
調査面積は約5000平方メートルもあって、今から約3500年前の縄紋後期の墓地と、約1800年前の弥生時代後期の住居が掘り出されていました。とりわけ注目したのは、縄紋時代の墓地でした。
調査にあたっている大阪府文化財調査研究センター(現大阪府文化財センター)のお話では、調査区全域に広がる長径1~2メートルの円形や楕円形の穴の大半は、縄紋時代後期のお墓で、総数は200基を超えるということです。さらに面白いのは、こうしたお墓は無秩序につくられたのではなく、何らかの決まり事にしたがってつくられたとみられることなのです。はっきり分かる箇所が2ケ所あります。長楕円形の穴をL字形に配し、これらを中心として円を描くように円形の穴を掘っているのです。調査が進めばこうしたまとまりがさらに見つかる可能性があります。
また、こうした穴のすべてがお墓かどうかも検討がいるでしょう。穴の中には、縄紋土器が入れられたもの、川原石を使った石組みをもつもの、柱が立っていたような痕跡が見られるものなど、さまざまなものが含まれているのです。最近では土の中に残された脂肪酸を分析することで、人体埋葬のあるなしを見分けることもできるようになっています。
おそらく、向出遺跡の縄紋墓地の発見は、西日本の縄紋社会のありようを解き明かす力強いきっかけとなることでしょう。同時に、西日本の縄紋社会が東日本に比べて決して質的に劣るものではないことも示したのです。

写真:土につきささった状態でみつかった石棒(大阪府文化財センター提供)

『広報ふじいでら』第348号 1998年5月号より

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