安満宮山古墳の鏡1(No.100)

更新日:2013年12月20日

高槻市安満宮山古墳の埋葬施設

昨年(平成9年)の8月ごろだったと記憶します。高槻市の安満宮山古墳から青龍三年(古代中国魏の年号で235年)の銘が刻まれた鏡を含む5面の鏡が出土したというニュースが流れました。いささか旧聞に過ぎるとのご意見もあろうかと思います。しかし、平成10年1月に同じく鏡の出土で大ニュースとなった奈良県黒塚古墳と比較すると、いくつか面白い問題もありますのでご紹介しようと考えました。
安満宮山古墳は、淀川の右岸、北摂平野を臨む山並みの中腹にあります。眼下には、この一帯の中心的な弥生集落の史跡安満遺跡が広がります。
古墳は南北21メートル、東西18メートルの小さな方墳で、埴輪や葺石といった古墳の表面を飾るものはありませんでした。外見からすると、古墳と呼ぶことさえ躊躇するようなつくりです。ところが、ここに5面もの鏡が納められていたのです。貧相な墳丘に豊かな副葬品、このアンバランスが面白いのです。
黒塚古墳からは34面の鏡が見つかって驚かされました。しかし、この驚きは、乱掘をまぬがれて、よく今日まで残ったものだということでした。
ヤマト政権中枢の地に築かれた大型前方後円墳の副葬品としては、予測の範囲内といえるのではないでしょうか。意外性という点では、安満宮山古墳に軍配が上がります。
さて、安満宮山古墳の鏡群ですが、青龍三年銘の方格規矩四神鏡(2号鏡)、三角縁神獣鏡(1・3号鏡)、斜縁神獣鏡(4号鏡)、同向式神獣鏡(5号鏡)で構成されています。
よく知られるように、三角縁神獣鏡は、中国の魏で作ったとする説と、魏の隣国呉の工人が日本に渡来して製作したとする説が対立しています。
しかし、2号鏡については、魏鏡とすることにほとんど異論がありません。この鏡は、主に後漢代に流行した方格規矩四神鏡を忠実に模倣したものですが、L字や四神の位置が逆転しているという特徴があります。
京都大学の岡村英典さんは、魏の鏡作りの基調が2号鏡にみるように、図像紋様の意味にあまりこだわらないものだとすれば、三角縁神獣鏡も魏鏡とする十分な根拠になりうるという重要な指摘をされています。
この鏡群について、さけて通れないのが「卑弥呼の鏡」との関係です。岡村さんは、三角縁神獣鏡がこれにあたり、ほかは別ルートで入手したのだろうと推論されています。これに対して、大阪府教育委員会の小山田宏一さんは、逆に三角縁神獣鏡以外の3面に「卑弥呼の鏡」の可能性を認められています。

写真:高槻市安満宮山古墳の埋葬施設(高槻市教育委員会提供)

『広報ふじいでら』第350号 1998年7月号より

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