安満宮山古墳の鏡2(No.101)

更新日:2013年12月20日

高槻市安満宮山古墳出土の青龍三年銘鏡

安満宮山古墳から出土した5面の鏡は、このうちに青龍三年の銘を刻む鏡が含まれていたことで、さまざまな議論を生みました。その一つは三角縁神獣鏡は「卑弥呼の鏡なのか」ということでした。この議論の決着はまだ見ていませんが、論点がはっきりしてきたことは確かです。
さらに興味を引いたのは、古墳の規模と副葬品がアンバランスなことです。古墳の規模は、被葬者の社会的な地位を必ずしもストレートに表現するものではないと知ることができたことです。これは、初期ヤマト王権の政治構造の理解にかかわる問題でもあります。
つまり、初期のヤマト王権は、奈良県に本拠を置く、最も有力な王を中心として、各地の王が政治的な連合を組み、成り立っていたと考えられています。そして王権の実務に携わる人々、のちに官僚と呼ばれる人々が古墳時代の初期の段階から組織されていたことをうかがわせたのです。
安満宮山古墳の発掘調査を指導した高槻市埋蔵文化財センター次長の森田克行さんは、この古墳の被葬者像を次のように考えておられます。
安満宮山古墳の付近には、後続する古墳が見あたず、その被葬者は地域の首長ではないらしい。したがって、個人的な能力によって邪馬台国(あるいはヤマト王権)に出仕していた役人で、製作年代が異なる三種の中国鏡をもつことから推測すると、外交関係に深く携わった人ではないか。と大胆な見解を述べておられます。
安満宮山古墳の被葬者は、当時の政権中枢で活躍した人物でしたが、大きな古墳を造ることはなかったのです。ちょうど江戸幕府の中枢を担った老中や大目付が、外様の大大名ではなく、関東近在の譜代の小大名や旗本から選ばれていることになぞらえることができるのかもしれません。
安満宮山古墳の調査は、古墳の規模や形と不釣り合いな5面の中国鏡という、豪華な副葬品をもつ古墳の存在を明らかにしました。こうした古墳は、今後近畿一円で見つかる可能性があり、決して特殊な事例ではないように思います。
つまり、ヤマト王権は初期の段階で、すでにかなり整った官僚機構を備えていたのではないかと考えているのです。

写真:高槻市安満宮山古墳出土の青龍三年銘鏡(高槻市教育委員会提供)

『広報ふじいでら』第351号 1998年8月号より

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