国府遺跡の発掘1(No.102)

更新日:2013年12月20日

国府遺跡出土の人骨を報じた新聞

去年(平成9年)のことになりますが、史跡国府遺跡の発掘調査を実施することになりました。調査のお話に入る前に国府遺跡が全国的に有名になった経過を少しみておきましょう。
今から80年以上も前、大正6年のこと、京都帝国大学の濱田耕作さんの率いる発掘調査隊が、国府遺跡の地に最初の学術調査の鍬を入れました。濱田さんの第一の目的は、大形粗石器の出土位置を確認することでした。大形粗石器とは、ヨーロッパの旧石器時代のハンドアックス(握斧)によく似た石器で、これが国府遺跡で拾われ、濱田さんの手元に届けられていたのです。濱田さんはこの石器がどの地層に含まれているのかを確かめようとされたのです。もし、洪積層から出土するものであれば、日本にも旧石器時代の人類がいたことになります。当時の日本では旧石器時代の人類はいなかったことになっていましたので、これは大発見になります。
しかし、発掘をはじめると少し様子が違ってきました。地表下の浅い所から人骨が出土したのです。しかも3体も。人骨は保存状態がよく、東日本と違って貝塚の発達しない西日本では古い人骨が出土することはまれだったのです。発掘の主眼が人骨に移り、大形粗石器の問題は後回しになったのです。
国府遺跡で保存良好の人骨が出土したというニュースは、各地の人類学者に伝わりました。鳥居龍蔵・小金井良精・松村瞭・長谷部言人・大串菊太郎・清野謙次さんなど東西の著名な人類学者が競って国府遺跡での発掘を繰り返しました。この間4年、出土した人骨は70体に達しました。
このまさに発掘オリンピックのような状態は、新聞にも盛んに報道され、全国の関心を集めたのです。ただ、残念だったのは、人骨の年代について、正確なデータがえられていなかったということがありました。国府遺跡には、縄紋前期から中世にいたるまで連綿と集落が営まれていた歴史があるのです。年代を特定できない人骨は、学術データとして非常に使いにくいものになってしまったのです。
この難問に挑戦されたのが、京都大学名誉教授の池田次郎さんでした。池田さんは国府遺跡出土の人骨すべてを再調査され、人骨時期の推定をされたのです。この研究によって、国府遺跡の人骨は学術データとしてよみがえることになったのです。

写真:国府遺跡出土の人骨を報じた新聞(大正6年11月4日付け大阪毎日新聞)

『広報ふじいでら』第352号 1998年9月号より

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