国府遺跡の発掘2(No.103)

更新日:2013年12月20日

国府遺跡出土の装飾品を装着した人骨

池田さんの研究が発表されたのは、昭和63年、濱田さんの発掘調査から実に70年後のことでした。
国府遺跡は昭和30年代には、西日本で最初の旧石器の出土遺跡となり、昭和40年代には飛鳥時代創建の衣縫廃寺の寺域が確認され、国指定史跡となったのです。
史跡指定後、土地の公有化が進められ、その整備が次の課題となってきました。平成9年に一部を整備することになり、その基礎資料が必要となりました。整備予定地はまさに80年前に発掘オリンピックが行われた場所だったのです。ところが、その調査位置が正確に分からないという問題が出てきたのです。ですから、発掘調査の第一の目的は、過去の発掘調査区の復元になったのです。
調査は予想以上に難行しました。過去の調査でうがたれたトレンチは、当然掘り上げた土で埋め戻されています。国府遺跡の土は真っ黒で、しかも80年もたって、よくしまっていたのです。トレンチの輪郭を探しあてる作業は思いの外手間取ったのです。
ようやく探しあてた過去のトレンチは予想どおり、整備予定地のほぼ全域を覆うものでした。80年も前の先達の足跡を、目のあたりして感無量でした。そうした感傷に浸る間もなく、人骨が出土したのです。
この人骨は、過去のトレンチとトレンチのわずかなすき間に残されていたのです。残念ながら、頭部が傾斜地にかかり削り取られていたのですが、お腹から下はよく残っていました。掘り進めていくと、腰のあたりから、鹿角製の飾りが見つかりました。しかも2つも。ていねいに加工され、赤色顔料で着色された逸品でした。1つは腰飾り、もう1つは腰飾りかネックレスの可能性があります。
さらにこの人骨は、両足のくるぶしにアンクレット(足輪)を装着していたのです。アンクレットは、特大のイノシシの牙を加工したもので、両端にひも孔を開けていました。さらに驚かされたのは、この人骨のひざ下から頭がい骨が出土したことです。
首をなくした人骨は壮年男子、頭骸骨は少し若い女子であることが、京都大学の片山一道さんによって明らかにされています。たくさんの装飾品をもつ男性は、おそらくシャーマンだと考えられます。彼の足の下から見つかった女性は、お墓が重なって偶然入り込んだのか、彼が意図的に持ち込んだものか、興味がふくらみます。今後の、資料分析が期待されるところです。

写真:国府遺跡出土の装飾品を装着した人骨

『広報ふじいでら』第353号 1998年10月号より

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