復元された弥生神殿(No.104)

更新日:2013年12月20日

和泉市池上曽根遺跡に復元中の弥生神殿

平成10年10月3・4日、和泉市の池上曽根遺跡で復元された弥生神殿がお披露目されるという新聞報道がありました。
この弥生神殿とは、平成6年から7年の発掘調査で見つかった巨大な掘立柱建物のことです。建物は東西に11個の柱穴が6.9メートルの間隔をおいて2列にならび、柱穴に囲まれた面積が133平方メートルもありました。建物のまわりで、クスの巨木をくり抜いた井戸や巨大な独立柱も見つかり、この一帯が普通の生活の場ではなかったことを示していました。
この建物は、まわりに濠をめぐらせた池上曽根弥生ムラのほぼ中央に建てられていました。奈良女子大学の広瀬和雄さんは、カミが降り立つ神殿の原形をこの巨大な掘立柱建物に見ておられます。
この建物はさらにもう一つの話題を呼びました。それは弥生時代の実年代に重要な情報を提供したことです。柱の根っこが残っていて年代の測定ができたのです。年輪は1年に1層ずつ作られます。この原理を応用したのが年輪年代法なのです。奈良国立文化財研究所の光谷拓実さんによって、この建物の柱は、紀元前52年に伐採されたことが明らかにされたのです。この結果、弥生中期末のこの建物に実年代が与えられたのです。しかし、それは従来考えられていた弥生中期末の年代より100年近くもさかのぼるという衝撃的な結果だったのです。
数々の話題と重要な歴史情報を提供したこの建物を、現代によみがえらせようとする気運が高まってきました。和泉市、泉大津市、大阪府教育委員会、大阪府文化財調査研究センターなどが協力して復元計画が立てられたのです。
全く失われていた上屋の構造は、建築史の浅川滋男さんを中心に検討されました。その結果、大きな切妻屋根の巨大な建物がイメージされたのです。
この建物を実際に復元しようとしたとき、柱材の確保という大問題につきあたりました。なんせ、直径60センチメートルもの原木がいるのです。輸入材や合成材の使用もしかたないかと思われていた矢先、朗報が飛び込んできました。地元の和泉市森林組合が全面的に協力することが決まったのです。和泉の三国山から50本ものヒノキの巨木が切り出されたのです。
計画は一気に加速して、10月3・4日のお披露目にいたったのです。
屋根がふき終わって完成するのは、来年(平成11年)の3月とのことです。2000年の時空を超えてよみがえった弥生神殿を、ぜひ一度見ていただきたいと思っています。

写真:和泉市池上曽根遺跡に復元中の弥生神殿

『広報ふじいでら』第354号 1998年11月号より

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