大和川の堤と船橋遺跡の発掘3(No.108)

更新日:2013年12月20日

船橋遺跡で見つかった掘立柱建物

大和川堤の解明とともに発掘調査のもう一つの課題は、船橋遺跡の実態に迫ることでした。
船橋遺跡の存在は、大和川の藤井寺市船橋・北條と、その対岸の柏原市側の間を流れる大和川の川原に、多量の古代遺物が散乱することから知られるようになりました。そうした事実は地元の人たちには、すでに戦前から知られていたようですが、学会への紹介は、昭和26年の山本昭さんの報告が最初だったようです。その後、昭和29年に堰(せき)堤が設けられて、遺跡の破壊がいっそう進み、大雨のたびに旧石器から中世にいたる多量の遺物が川原に散乱するようになりました。
しかし、遺跡が大規模河川の中にあるという特殊な事情もあって、遺跡の実態はよく分からなかったのです。こうした事態を憂慮した大阪府教育委員会は、大和川遺跡調査会を組織し、本格的な学術調査に乗り出したのです。調査は昭和31年から33年に実施されました。
その調査成果は『船橋・・・』として公刊され、古墳時代、奈良時代の土器研究の画期的な報告書として評価され、船橋遺跡の名前を全国に知らせることになったのです。しかし、この調査でも突然の出水や調査資金不足に悩まされ、船橋遺跡の全体の規模やその変遷といったことには、ほとんど手つかずで終わったのです。言葉を換えると、船橋遺跡のスケールの大きさが分かったといえるかもしれません。
その後、大阪府文化財センターや藤井寺市・柏原市教育委員会などが小規模な発掘調査を実施して、その都度、重要な事実を明らかにしてきましたが、まだまだ船橋遺跡の全ぼうをつかむにはいたっていません。
今回の発掘調査区のほとんどは、大和川堤の下にあるわけですから、少なくとも付け替え後の遺跡破壊はなかったことになります。ですからその調査に大きな期待をもったのです。特に弥生時代の遺構・遺物の出土に期待したのです。その理由は二つあります。一つは船橋遺跡出土の弥生土器は、実はたくさん知られていて、近畿地方の基準資料になっているほどなのです。しかし、その多くは学術調査で出土したものではないのです。したがって、発掘調査でその事実を確かめたいということが第一点です。
二つ目は、個人的なことで恐縮なのですが、今からかれこれ30年も前、今回の調査地のすぐ東側の川岸で、弥生時代前期の大きな溝を目撃しているのです。

写真:船橋遺跡で見つかった掘立柱建物

『広報ふじいでら』第358号 1999年3月号より

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