富田林市新堂廃寺の発掘調査(No.110)

更新日:2013年12月20日

富田林市新堂廃寺出土の軒瓦

日本における本格的な寺院が飛鳥寺に初まることはよく知られています。飛鳥寺は、蘇我氏が百済の技術者を頼んで588年に造り始め、596年に竣工しました。この飛鳥寺を初めとする初期の寺院は、奈良県を中心に40数寺が知られています。こうした初期の寺院の存在を知る最大の手掛かりは、軒先瓦の紋様です。軒先を飾る瓦の紋様は、時代による変化があって、年代を計る物差しの一つになっているのです。
飛鳥寺の創建時に使われた軒先瓦と同じ系統の瓦は、南河内では3ヶ所から出土しています。そのうち、2ヶ所は藤井寺市内にあります。国府遺跡内の衣縫廃寺と大和川河床の船橋廃寺です。そしてもう1ヶ所が富田林市の新堂廃寺なのです。
新堂廃寺は昭和34・5年に発掘調査が実施され、四天王寺式伽藍配置をもつ飛鳥時代初期の寺院跡であることが明らかにされていました。今回の発掘調査は、大阪府営住宅の建て替え計画が契機となって、大阪府教育委員会と富田林市教育委員会が実施したものです。
発掘調査では、中門とこれに取りつく回廊の一部、そしてその南側で参道と南門が見つかりました。また、南門のさらに南側には、宝幢(ほうどう)遺構と呼ぶ珍しい遺構が見つかっています。宝幢とは儀式のときに掲げる旗のことです。見つかったのは、宝幢用の旗竿を立てたと考えられる巨大な柱掘方なのです。柱掘方は、3.3メートルの間隔で東西に6個並んで見つかっています。
中門から南側の参道、南門、宝幢遺構は、創建から少し下った7世紀後半に付け加えたことも出土遺物から明らかにされています。
新堂廃寺は、北から講堂、金堂、塔、中門、南門、宝幢遺構を一直線に配置する堂々たる寺院であったことが分かりました。四天王寺式の伽藍配置と考えられますが、塔の両側に建物があった可能性もあって、新堂廃寺独自の伽藍配置であったかもしれません。
この寺の北西には、瓦を焼いた窯が見つかっているヲガンジ池があります。百済の扶余には四天王寺と同じ伽藍配置をもつ烏含寺(オガンジ)が6世紀末に造られています。偶然とは見なしがたい一致です。
新堂廃寺は、竹内街道(丹比道)にも近く、難波と飛鳥を結ぶ交通の要衝の地にあります。それは藤井寺市の衣縫廃寺と船橋廃寺が長尾街道(大津道)沿いに造られたことと深く関係するのかも知れません。

写真:富田林市新堂廃寺出土の軒瓦(大阪府教育委員会提供)

『広報ふじいでら』第360号 1999年5月号より

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