近つ飛鳥博物館の「修羅!」展(No.112)

更新日:2013年12月20日

修羅の出土状況

この6月20日まで(平成11年)、大阪府立近つ飛鳥博物館で「修羅!ーその大いなる遺産:古墳・飛鳥を運ぶー」と題する展覧会が催されていました。見に行かれたかたも多いのではないかと思いますが、藤井寺になじみの深い遺物でもありますので、ご紹介しようと思います。
まず修羅のプロフィールです。昭和53年、三ツ塚古墳の濠の発掘調査が、大阪府教育委員会の手で進められていました。3月になって、濠底から巨大なカシ材の遺物が見つかったのです。これはのちに、全長9メートルに近い大修羅の頭部であることが分かったのです。この大修羅とクヌギ製の小修羅、カシの丸太(てこ棒)が同時に埋められていたことが分かりました。
巨大な古代の運搬具「修羅」の発見は、マスコミで大きく採り上げられ、修羅フィーバーが土師の里一帯を包んだことは、今や、語り草になっています。
出土した修羅は、濠底で水漬けの状態でしたので、まるで豆腐のようでした。後世に伝えるには、科学的な保存処理を必要としたのです。しかし、当時こんなにも大型の木製品の保存処理例はありませんでした。したがって、処理水槽の新設から始めなければなりませんでした。修羅の保存処理は、元興寺文化財研究所をはじめとする関係者の努力があって、14年の歳月をかけて完了したのです。
修羅は出土したときから、いつ、何を運んだ道具なのか、大きな議論にさらされてきました。いつという点では、5世紀説と7世紀説が対峙しています。5世紀説は、帝塚山短期大学の田代克己さんや大阪府教育委員会の高島徹さんが主張されています。それは修羅の出土状態の検討結果を根拠にし、運搬の対象としては長持形石棺を想定されています。
一方、7世紀説は同志社大学の森浩一さんを代表とするもので、大修羅の運搬能力は50トンを超える巨石にも対応すると主張されてます。ところが、5世紀には巨石の文化はなく、修羅の活躍は、7世紀の巨石構造物の時代が相応しいとします。
今回の展覧会では、修羅をめぐるさまざまな問題に、全国の発掘調査の出土品、日本の民俗資料、海外の民族資料を収集し、現在の段階で考えられるあらゆる角度からのアプローチが試みられています。
展覧会をお見逃しになったかたは、展示図録をお求めいただいたらどうでしょう。発掘調査の最も詳しい報告も収録されていて、修羅を考える起点になるのではないでしょうか。

写真:修羅の出土状況(大阪府教育委員会提供)

『広報ふじいでら』第362号 1999年7月号より

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