原始縄紋土器の提唱(No.119)

更新日:2013年12月18日

濱田耕作の縄紋土器系統図(濱田『河内国府石器時代遺跡発掘報告』1918年より)

濱田耕作さんは次に土器の系統と国府発見の人骨の問題を論じます。この二つ問題は、当時盛んであった石器時代人種論争と深くかかわりをもっていて、興味深い論考であります。
濱田さんは国府遺跡の発掘から、上層に齋瓮(いわいべ)土器(須恵器)、中層に弥生式土器、下層にいわゆるアイヌ式縄紋土器に近似せる土器(前期縄紋土器)が見いだされるという層序をまず整理しています。そしてその変化は使用した人種の違いではなく、使用年代の違いを現したものと指摘するのです。
さらに、いわゆるアイヌ式縄紋土器に近似せる土器については、純アイヌ式土器(縄紋中・後期土器)に特徴的な曲線的な紋様がみられないことから、その元になった土器という意味で「原始的縄紋土器」と名づけました。「原始的縄紋土器より一方に於いては其の模様次第に簡素になり、窯法の進歩と共に所謂弥生式土器なるものを生じ、一方に於いては、此の縄紋装飾が極端に発達して、アイヌの間に所謂アイヌ式縄紋土器を産するに至れる」と結論したのです。
濱田さんはこうした結論にいたる過程に、層位学によって土器の相対年代を、型式学によってその系統を見極めようとされています。層位学と型式学は、今日でも考古学の基本的な学問的手続きですが、濱田さんはヨーロッパで考古学を学び、こうした最新の研究方法を国府遺跡で実践したのです。考古学の近代化の扉が濱田さんによって開かれたというのはこうしたことからなのです。その舞台が国府遺跡だったことはうれしい限りです。
続いて、濱田さんは国府発見の人骨の人種問題に発言します。当時、石器時代人種については、コロボックル説を唱えた坪井正五郎さんが死去し、小金井良精さんのアイヌ説が不動の地位を獲得したようにみえていました。実は小金井さんも国府遺跡を発掘していて、その人骨は「アイノ式貝塚より出でたる人骨および現代アイノに認めらるゝものと一致若しくは近似してゐる」と述べています。
濱田さんは、小金井さんのアイヌ説の拠りどころとなっていた四肢骨の扁平度の高い点について、反論します。四肢骨の扁平度は生活様式によって大きく変化するもので、人種の指標とはならないと指摘します。さらに頭骨の形こそが人種を見極めるためには重要であり、国府をはじめとして西日本の石器時代人骨に現代日本人と同じ短頭型が多く、関東の石器時代人骨は現代アイヌと共通した中頭型である点に注目します。そして「短頭型のものは九州中国及び近畿地方に多くして、そは現代日本人の祖先換言すれば現日本人の大本をなせる「原日本人」とするに差支なく、中頭型のものは東北関東地方に多くしてアイヌに近きものとするを得んか」と結論するにいたります。(つづく)

図:濱田耕作の縄紋土器系統図(濱田『河内国府石器時代遺跡発掘報告』1918年より)

『広報ふじいでら』第369号 2000年2月号より

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