叉状研歯人骨の出土(No.122)

更新日:2013年12月18日

フォーク状に加工された歯

大串さんの発掘の後、大正7年(1918年)に京都帝国大学の濱田耕作さんが、自身2回目の発掘を実施しています。翌大正8年(1919年)には東京帝国大学の小金井良精さんが、さらに同年と大正10年(1921年)には京都帝国大学の清野謙次、佐々木宗一さんが発掘をしています。
大正6年(1917年)から10年までの4年間で都合9回の発掘が行われ、72体もの人骨が出土したのです。
これらの発掘調査には、わが地元の人々も協力しました。当時の大阪毎日新聞によれば、南坊城良興・良昴・良修、西野常三郎・林造、三根隆澄さんらの名前が登場してきます。現場での発掘の手伝いはもとより、宿舎や食事の手配、その他、もろもろの雑事を引き受けられたようです。また、調査の終了時には道明寺住職の六條照伝尼による法要が営まれました。いま道明寺天満宮の宝物殿に1対のけつ状耳飾りをはじめとする国府遺跡の出土品が納められているのは、こうした人々の協力という経過があったからにほかなりません。
さて、これらの発掘で特筆すべきことの一つに叉状研歯(さじょうけんし)人骨の発見があります。叉状研歯とは、聞きなれない言葉ですが、上あごの前歯四本をフォークのように加工することです。縄紋時代には、人生の節目を迎えると、健康な歯を引き抜く抜歯(ばっし)の儀式が盛んに行われました。たとえば、成人式には、上あごの両側の犬歯を抜き、その痛みに耐えることが一人前の社会人として認められる条件だったようです。現代の成人式とはえらく違っています。成人式の後も結婚や葬儀など事ある度に抜歯が行われました。結果、1人で10本以上も抜いた事例も見つかっています。
叉状研歯も抜歯の一種ですが、上あごの犬歯を抜くというような誰もが行う、言葉を換えると、通過儀礼のようなものではなかったようです。叉状研歯人骨は男性にも女性にも見られますが、同世代の数人に1人というような割合で施されたようです。
叉状研歯を施した面相は、かなりおっかないものだと想像されます。また、前歯がフォーク状に尖ることから一種の武器としての役割があったのではないかという意見もありました。しかし、叉状研歯を施した人骨では、下がくの前歯を抜き去っているものが多く、武器のような役割は期待されていなかったようです。
国立歴史民俗博物館の春成秀爾さんは、特別な家系に属する男女数人を示す標識のようなものではなかったのかといわれています。
叉状研歯は愛知県と大阪府で集中的に見つかっていて、国府遺跡の3体の叉状研歯人骨は、その西限事例としても注目されています。叉状研歯は特別に選ばれた人に施したようですが、つらく長い加工工程を考えると、当時の人々も選ばれたくないというのが本音だったのではないでしょうか。(つづく)

写真:フォーク状に加工された歯(国府遺跡出土人骨:東京大学総合研究資料館標本番号19-9号:小学館)

『広報ふじいでら』第372号 2000年5月号より

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