日本人起源論の二大潮流(No.124)

更新日:2013年12月18日

復元された弥生人(左)と縄紋人(右)(山口県土井ヶ浜遺跡:人類学ミュージアム)

清野謙次さんの日本人起源論に触れたついでに、国府遺跡の発掘から少し横道にそれるのですが、大正末期から昭和にかけての日本人起源論を紹介しておこうと思います。
小金井良精さんを代表とする石器時代人アイヌ説を否定した清野さんの説は混血説とも呼ばれました。それは人骨の統計処理の結果、「石器時代には朝鮮に対する縁が遠かったのに、古墳時代に至りてややこれに接近し、現代畿内人に至って最も近接して居る」とし、「原史時代に於ける朝鮮半島経由の大陸民の混血多かりし史実を体質的に語るもの」と主張したところにあります。
清野さんの混血説と並ぶもう一つの有力な学説があります。それは、東北帝国大学からのち東京帝国大学で人類学を講じられた長谷部言人さんの説です。長谷部さんは、清野さんが想定したような大量の移民はなかったとし、石器時代から今日にいたる体質の変化は、生活様式の変化によるところが大きいとしました。長谷部説は、清野さんの混血説に対して、変形説あるいは小進化説と呼ばれることになります。
清野さんの混血説は、九州大学の金関丈夫さん、長谷部さんの変形説は東京大学の鈴木尚さんが引き継ぎ、より精緻な議論が闘わされることになります。両説は、日本人の起源をめぐる二大潮流のような存在になりました。
金関さんは、山口県や九州北部での発掘成果に基づき、大陸からの渡来者そのものの存在を明らかにしました。山口県土井ケ浜遺跡の弥生前期墓地の人骨は、それまでの縄紋人にはない長身で高顔(のっぺりとして、細面の顔)という特徴を備えていたのです。
ところが、こうした長身高顔の弥生人はそれほど人数が多くなかったことも明らかになってきたのです。つまり、朝鮮半島から弥生文化をもたらせたは長身高顔の人々で、日本の弥生文化を実際に担ったのは、圧倒的に多数派の縄紋人の子孫なのだということもはっきりしてきたのです。
土井ケ浜遺跡などの長身高顔の弥生人は、朝鮮半島からの先進文化を携えて渡来した人々でしたが、その数は決して多くはなかったという点までは、金関さんと鈴木さんとの間に大きな意見の違いはありません。問題はその先にあります。
金関さんは、弥生時代の成立期以降もたびたび渡来があって、日本人の形質に大きな影響が見られるとしました。鈴木さんはこれを否定し、各時代の渡来者は、あくまで少数派で、人類学的な形質にまで影響を与えることはなかったとします。
日本人がどのような経過をたどって成り立ったのか大いに興味をそそられます。最近では血液型、指紋、さらにDNAなどを題材にして新しい研究が進みつつあります。(つづく)

写真:復元された弥生人(左)と縄紋人(右)(山口県土井ヶ浜遺跡:人類学ミュージアム)

『広報ふじいでら』第374号 2000年7月号より

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