縄紋国府ムラの人口推計1(No.129)

更新日:2013年12月18日

縄紋時代の国府ムラの想像図

縄紋時代の人口というと、思い出すことがあります。平成6年のことになりますが、新設のアイセル シュラ ホールの歴史展示コーナーに、縄紋時代のムラのイメージイラストが必要になったときのことです。
イラストを描くのに、一番困ったのはムラの規模です。竪穴住居は何棟ぐらい建っていたのか、人口はどのくらいだったのか。このときは、具体的な手掛りがつかめぬまま、住居4棟、子供も含めた人口20人前後と想定してイラストにしました。人口の手掛りは、つかめぬままじゃなくて、手掛かりに気がつかぬままといった方が正確でした。絵にしてしまうと、イメージが固定されてしまいます。このイラストは大丈夫なんだろうか、ずっと気になっていました。
最近、国府遺跡で出土した人骨のデータを整理していて気がついたことが二つありました。一つは最も人骨が集中した墓地は、縄紋前期後葉に営まれたと、時期が限定できそうなことです。これは、人骨の頭部を覆っていた土器とけつ状耳飾りの型式から導き出したことです。
もう一つは、この縄紋前期後葉の墓地は、今以上の広がりがどうもなさそうだということです。言葉を換えると、この墓地はこれまでの調査でほとんど掘りつくされている可能性が高いということだったのです。
墓地が営まれた期間とそこに葬られた人数が分かれば、ムラの人口を推定することも可能になります。
まず、墓地に葬られた縄紋前期後葉の人数が問題です。はっきり時期が分かるものが39体、はっきり時期がつかめなかった23体のうち、70%の16体を加え、さらにすでに失われたり、まだ見つかっていない数を10体と仮定すると総数65体程度になるでしょう。
次いで、けつ状耳飾りに注目してみました。けつ状耳飾りは当時の人すべてが着けたのではありません。同世代のうち1人だけが着けていたとすると、けつ状耳飾り装着人骨数は前期後葉の世代交代数を表していることになります。見つかっている8体にまだ見つかっていないものと、すでに失われたものを2体と仮定して加えると、10体がけつ状耳飾りをもっていたことになります。
すると、10世代で65体が葬られたとすると、一世代あたり、6.5人という数値が得られます。ただし、これは成人の数ですので、子供の人数を加える必要があります。子供の人数はデータがまったくありませんが、成人数とほぼ同じとすれば、縄紋前期後葉の国府ムラは、人口が13人前後、3家族程度の小規模なものだったという結論になりました。
最初に紹介したイラストのムラのイメージとは当たらずしも遠からずということになりました。次回では算式を替えて、さらに検討してみようと思います。(つづく)

イラスト:縄紋時代の国府ムラの想像図

『広報ふじいでら』第379号 2000年12月号より

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