古墳が見つかった(No.12)

更新日:2017年07月08日

浄元寺山古墳の発掘された葺石

出土した埴輪列(はにわれつ)は、浄元寺山古墳の堤上に樹立されたものであると判断していました。しかし、トレンチを南側に拡張しても、堤の外側が出てこずに当惑してしまいました。
わたしにとって、この調査は大変気になりましたが、発掘調査が混んでいるときでもあり、ほかの現場へ向かわざるを得ませんでした。そのため方針を指示して、この現場はベテラン調査員に任せることにしました。
見つかった埴輪は、長さ6メートルのトレンチに円筒埴輪17本でしたが、近世の耕作溝によって、少なくとも1本は欠落していました。また、残っているものも、幅50センチ、深さ10~15センチの溝を掘り、埴輪を据えて地中に埋めた部分だけが残っているだけでした。円筒埴輪の底の径は25センチ前後で、10センチの間隔をおいて立て並べられたものでした。
埴輪列の南側、浄元寺山古墳とは反対側に、川原石を並べた葺石(ふきいし)も少し残っており、しかもそれが南側に向かって上っていくように観察されたのです。こうした状況から、検出された埴輪列は、浄元寺山古墳の堤上のものではなく、まったく別の埋没古墳のものである可能性が徐々に高まってきました。
現在でも、多くの古墳がその墳丘や濠(ほり)を残しています。そうしたものは、わたしたちにとって古墳とすぐに分かりますが、古墳の中には、築造後に水田開発などによって墳丘が削られたり、濠が埋められたりしたものも多数あります。埋没古墳とは、現在では古墳と分からなかったものが、発掘調査によって、墳丘や濠の跡が見つかり、古墳の存在が明らかになったものをいいます。
周囲とほぼ同じ高さであるこの調査区に、古墳がかつて存在したとは、調査前には全く予想もしていないことでした。
北側の調査は終了し、南側の調査に移りました。こうなると、この古墳の規模の確認が主な目的となりました。調査は順調に進み、南側でも東西に並ぶ埴輪列が見つかりました。北側の埴輪列との間隔は19メートルで、両方の埴輪列ともまっすぐに伸びていることから、方墳と判断されました。
しかしこの時には、大変な事態が待ちうけているとは、調査に参加していた者のだれ1人として考えてはいませんでした。

:トレンチ 土層観察のために掘る溝

写真:浄元寺山古墳の発掘された葺石

『広報ふじいでら』第262号 1991年3月号より

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