円筒埴輪の研究(No.32)

更新日:2013年12月19日

出土した円筒埴輪

周庭帯が重要な古墳の一角であることが、末永雅雄博士によって明らかにされてから、この部分の意識的な発掘調査が行われるようになりました。
発掘調査で周庭帯にも墳丘と同じように埴輪列をもつ古墳があることが分かってきました。そして、出土した埴輪、とりわけ円筒埴輪が古墳研究を大きく前進させることになったのです。
陵墓に治定されている巨大な前方後円墳の多くは、大量の円筒埴輪を使用しています。そして、その円筒埴輪は、古墳ごとに個性をもっていることが分かってきたのです。もしその個性が、年代のずれからもたらされたものであれば、円筒埴輪の比較によって古墳の造られた年代を割り出すことが可能となるのです。
「円筒埴輪から古墳の年代を割り出す」この魅力的な研究テーマに積極的に取り組んだ研究者がいました。京都の平安博物館の川西宏幸講師です。
川西先生は、古墳によって黒斑と呼ぶ黒い染みをもつ円筒埴輪を使用するものと、これをもたないものを使用している事実があることをつきとめました。この違いは、埴輪の生産方式の違いに原因があり、黒斑なしの埴輪がより新しい技術段階にあることを明らかにしたのです。円筒埴輪は、黒斑の有無で新古が区別できることが分かったのです。
そして、土器の観察手法を応用して埴輪の形態変化を詳細に観察し、円筒埴輪が5段階に区分できることを発表したのです。
こうしてでき上った一覧表には、陵墓となっている巨大な前方後円墳をはじめとして、全国の主だった古墳名がほぼ網羅されることになったのです。
川西先生の発表には、衝撃的な内容が含まれていました。その一つは、応神天皇陵に治定されている誉田御廟山古墳と、仁徳天皇陵に治定されている大仙古墳の年代であります。
日本を代表する両巨大古墳は、それまでの研究では、それぞれ4世紀末葉と5世紀初頭の基準的な古墳とされていたのです。その根拠としては、両古墳の被葬者が応神天皇と仁徳天皇に間違いなく、その築造年代は、記紀などの文献に記載されている両天皇の没年から割り出していたのです。
ところが、川西先生の研究では、両墳に使用されている円筒埴輪には黒斑がなく、円筒埴輪の第・期に属し、実年代は5世紀の中葉をさかのぼることはないという結論だったのです。

写真:出土した円筒埴輪

『広報ふじいでら』第282号 1992年11号より

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