二重周濠の発見(No.33)

更新日:2013年12月19日

外濠の斜面は葺石でおおわれていた

末永博士は昭和36年、毎日新聞社発刊の『日本の古墳』で、城山古墳に典型的な周庭帯が伴うことを発表されました。おそらく周庭帯の大要を公にした、最初の文献だと思います。
しかし、城山古墳の周庭帯に発掘調査の本格的なメスが入ったのは、それから19年経った、昭和55年でした。分譲住宅の建設に先立つ緊急発掘調査が、大阪府教育委員会によって実施されることになったのです。この調査では周庭帯を横断する、3本のトレンチが設けられました。
調査が進むと、すべてのトレンチの西側に、大きな落ち込みが現れたのです。落ち込みをつなぐと城山古墳の周庭帯のほぼ中央に、二重目の濠がめぐることが推定できたのです。
濠の斜面は、一面に川原石で覆われていました。この葺石ののりすそには、長径40から60センチもある、大きな石が並べられ、入念で大規模な施工に驚かされました。また、濠の中からは、各種の埴輪や土器が出土し、城山古墳の構築時期や性格を考える、重要な資料が得られたのです。
この調査の重要な成果は、城山古墳が二重濠の構造をもつことが分かったことです。二重濠は、誉田御廟山古墳(応神陵)や大仙古墳(仁徳陵)などの、巨大古墳に限って採用されていることが知られています。城山古墳は二重濠をもつ古墳の中では、最も早く造られたのです。言葉を換えると、城山古墳で初めて実現された二重濠の企画は、代々の大王墳に受け継がれていったのです。ここに城山古墳の重要な性格の一端が隠されているように思うのです。
末永博士が、城山古墳の発掘調査現場を視察される、という情報が耳に入りました。わたしはほとんどやじ馬気分でした。というのは、博士の一連の論文から拝察すると、周庭帯とは低平な堤をイメージされているようでした。二重濠を見られて、どのような意見を述べられるか興味があったのです。
8月の下旬、まだ残暑厳しいころでした。車から降りられた博士は、真っすぐ調査現場に向われました。濠の葺石を前に、調査を担当した大阪府教育委員会の石神怡技師の説明に熱心に耳を傾けておられました。
博士と石神技師は葺石や埴輪、そして周庭帯について学問的なやりとりを交わされました。最後に博士は、誰に語るともなくつぶやかれました。「周庭帯とはこんな構造になっていたのか。本当に今日は良いものを見せてもらった。長生きはするものだ」

写真:外濠の斜面は葺石でおおわれていた(大阪府教育委員会提供)

『広報ふじいでら』第283号 1992年12月号より

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