奇妙な埴輪(No.34)

更新日:2013年12月19日

「古代の日本」の展示カタログ

2月7日、城山古墳の水鳥形埴輪が、およそ6ヶ月ぶりに藤井寺に帰ってきました。ワシントンD・Cで催された「古代の日本」という展覧会に、日本の埴輪の代表の一つとして出展されていたのです。
この水鳥形埴輪は、昭和58年の城山古墳内濠の発掘調査で出土したものです。今年が酉(とり)年ということでもありませんが、水鳥形埴輪発掘の経過を、振り返ってみたいと思います。
発掘調査は城山古墳の環境整備を進めるうえで、必要な基本的資料を得るために、計画されたのです。調査のポイントは、濠の深さと墳丘や堤の保存状況を知ることでした。そして可能なかぎり、古墳の大きさや形に関するデータを収集しようと決めていました。
発掘調査を開始して、驚いたことがありました。それは墳丘や堤のすそ部が、築造当時の姿を非常に良く保存していることでした。浅い水溜まりになった濠には、水草が一面に生え、それが枯れて炭化物となって濠底に沈む。城山古墳の濠では、この自然の営みが千数百年にわたって、規則正しく繰り返されたのです。結果、濠内は植物遺体でできた、真っ黒な土で厚く覆われることになったのです。この地層が墳丘や堤の崩壊を防いだのです。
濠内の保存状況が、予想以上に良好なことは、調査関係者の士気を大いに高めました。反面、手を焼いたのは、想像を絶する出水でした。濠底からはまるで水道管を破ったような、出水が何ヶ所も現れたのです。排水ポンプは焼きつくし、トレンチの壁は崩れ落ちるし、まったく難渋を極めたのです。
出水と格闘しながら、調査は日程のほぼ半分を消化したところでした。濠の中から、異様なものが出土したのです。それは長さ40センチ、直径15センチほどの、ちょうど土管のような埴輪でした。見たとたん、馬形などの動物埴輪の脚部かと思いました。しかし、すんなりと納得できなかったのです。というのは、馬形をはじめとする動物埴輪は、5世紀の中ごろ以降に作られるとされていたからです。城山古墳の築造は、4世紀の終わりごろと推定していました。したがって、まだ動物埴輪は使われていないと考えていたからです。
この土管状の埴輪が出土した場所も異常でした。墳丘と堤のほぼ中間なのです。普通は墳丘や堤に立てられていた埴輪が、濠の中へ転落しても、濠の中央まで流れ出すことは、まず考えられないのです。


写真:「古代の日本」の展示カタログ

『広報ふじいでら』第284号 1993年1月号より

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