土師氏と円筒棺墓(No.140)

更新日:2013年12月19日

土師の里遺跡の円筒棺墓

土師の里遺跡の特徴的な出土遺構に円筒棺墓があります。円筒棺墓とは、筒形をした埴輪を棺に使った墓のことです。筒形をした埴輪には、古墳に立て並べるために作った円筒埴輪を棺に転用したものと、初めから棺用に作ったものとがあります。前者を転用棺、後者を専用棺と呼び分けています。専用棺は大きくて丁寧な作りをしていますが、見つかる割合は圧倒的に転用棺が高いのです。
では円筒棺墓がなぜ土師氏に結びつくのかを考えてみましょう。まず、出土した円筒棺墓をみると、一部の例外を除いて、副葬品を伴わないことです。これは円筒棺を庶民の葬法と考える証となることです。ところが、円筒棺墓がたくさん見つかる地域は限られていて、当時の一般的な庶民の葬法ではなかったことも知られるのです。
円筒棺墓がたくさん見つかる地域は、大古墳群が造られた地域と見事に重なります。古市古墳群、百舌鳥古墳群、佐紀古墳群、馬見古墳群などです。つまり、円筒棺墓は、これらの古墳造りに関係した人々のお墓であった可能性が濃厚なのです。古墳造りに関係した人々とは土師氏をおいて考えられないのです。
さて、土師の里遺跡の円筒棺墓に話しを戻しましょう。円筒棺墓は土師の里遺跡を中心に南の茶山遺跡、北の林・国府遺跡にも広がっていて、約100基が見つかっています。全国集計はしていませんので正確な数字は不明ですし、調査密度の濃淡がありますので、何ともいえないかもしれませんが、土師の里遺跡周辺が円筒棺墓の最も密集した地域の一つであることは疑いがありません。
円筒棺の調査を進めていくうちに、難しい問題に直面したのです。それはこのお墓がいつ造られたものか簡単に判別できないということです。
少し前までは、棺に使われている埴輪の作られた時期がお墓の造られた時期と見なしてきました。ところが、一緒に葬られた副葬品の年代が棺の年代よりかなり下降するものがあることが知られたのです。ある円筒棺では、棺が5世紀後半の作なのに、副葬されていた土器は7世紀初めのものだったのです。このお墓は100年以上も前に作られた埴輪を棺に使っていたのです。
ということは、大半の円筒棺墓は副葬品を持っていませんので、お墓の時期は、使われた埴輪の制作年代を上限として捉えられるにすぎないということになります。副葬品がなければ、その下限年代をおさえることができないのです。お墓の年代が正確におさえられないということは、歴史の資料として扱うときにとても厄介な問題となります。しかし、一方では、埴輪作りがとうの昔に終わっている7世紀になっても円筒棺という葬法をとっていた人々がいたという興味深い事実が明らかになったのです。
土師氏は陵墓の管理を重要な仕事の一つにしていたことが知られています。大古墳が造られなくなった6世紀後半以降の円筒棺墓は、こうした陵墓の管理にたずさわった人々のお墓かもしれません。伝統的な埴輪を使った特殊な棺に葬られることで、土師氏一族との結びつきを表明したのかもしれません。
円筒棺墓でもう一つふれておきたいことがあります。それは、円筒棺墓は、その上部に小さな土饅頭が作られていた可能性があることです。円筒棺は地表下すぐに見つかることが多く、そのため、上部が削られてなくなっていることもままあり、発掘調査で土饅頭の存在を証明することはなかなかできませんでした。ところが、林のマンション建設に先立つ調査で、思いがけなく、土饅頭をもった円筒棺墓に遭遇する機会をえたのです。(つづく)

写真:土師の里遺跡の円筒棺墓

『広報ふじいでら』第390号 2001年11月号より

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