土師の里8号墳の発見 (No.145)

更新日:2013年12月19日

土師の里8号墳の全景(北から撮影)

埋没古墳の調査で忘れなれないのが土師の里8号墳と西墓山古墳です。埋没古墳の一般的な調査では、墳丘部が既に削平を受けているので、周りの濠(ほり)を見つけることに主眼がおかれます。埋葬施設は残っていないだろうというのが暗黙の了解事項になっているのです。ところが、よく考えてみると、直径や一辺が20メートル未満の小規模な円墳や方墳では、墳丘が周りの地表面まで削平されても埋葬施設が残っている可能性があるのです。
直径20メートルの円墳を例にします。墳丘の傾斜角度を25度、墳頂の直径を7メートルと仮定すると、墳丘の高さは3メートル弱となります。濠の深さが1メートル弱あるとすれば、元の地表からの墳丘の高さは2メートルほどになります。ということは、墳頂から2メートル以下に埋葬施設がつくられていれば、墳丘の削平があっても埋葬施設は無事ということになるのです。その理屈からすれば、古墳の規模がさらに小さくなれば埋葬施設が残っている可能性高まるのです。
その典型的な例が土師の里8号墳であり、西墓山古墳なのです。西墓山古墳は以前ご紹介しましたので、ここでは土師の里8号墳について少し詳しくお話しようと思います。
平成3年(1991年)、道明寺6丁目で鉄筋の共同住宅の建設が予定され発掘調査を実施することになりました。その場所は、三ツ塚古墳と戦後潰されてしまった鞍塚古墳のほぼ中間にあたります。隣接地の大阪府営道明寺住宅では、住宅建て替えに伴う大阪府教育委員会の発掘調査で、たくさんの円筒棺墓が見つかりました。ですから、私たちの発掘でも円筒棺墓が出てくるだろうと予想していたのです。
建物の予定地に、東西60メートル、南北10メートルの細長い調査区を設けて発掘調査を進めました。地表から約40センチメートルの現代盛り土をすき取ると、土器や埴輪含む地層が現れました。埴輪が集中している箇所を念入りに掘り進めると、案の定円筒棺が出てきました。残り具合がいいもの、悪いもの含めて6箇所から円筒棺が見つかったのです。
調査を始めて間もなく調査区の西端で見つかった4号円筒棺は、棺に使われていた埴輪がそっくり残っていて調査団の意気を大いに高めました。この4号棺は棺用に特注された埴輪が使われていたことも注目されました。人体を収容する棺身は2本の円筒形の埴輪をつなぎ、両端を料理に使うボールのような形をした埴輪でふさいでいました。ただ、このお墓には副葬品がなく、つくられた時期を絞り込むことができなかったことが残念でした。
しかし、このあと残念さを打ち消す大きな調査成果がもたらされたのです。調査区のほぼ中央から見つかっていた1号棺をコ字状に取り囲む溝が掘られていることに気付いたのです。この溝は幅約1・5メートル、深さ平均80センチメートルほどで、両端が折れ曲がる北辺で11・5メートルをはかりました。東辺と西辺の溝は、調査区の外に続いていました。ということは、一辺11・5メートルの方墳で、円筒棺を埋葬施設とした埋没古墳だと考えられたのです。この古墳は、土師の里遺跡で8番目に見つかった埋没古墳でしたので、土師の里8号墳と呼ぶことにしました。
よく注意して見ると、1号円筒棺の位置はこの古墳の推定中央からやや北にずれていたのです。急きょ古墳の中央の埋葬施設が残っていることを予想して、調査区を敷地いっぱいまで拡張することにしました。
こんなに予想が的中するすると嬉しくなるのですが、この拡張区から中央の埋葬施設が見つかったのです。(つづく)

写真:土師の里8号墳の全景(北から撮影)
『広報ふじいでら』第395号 2002年4月号より

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