土師の里8号墳の被葬者像(No.147)

更新日:2013年12月19日

土師の里8号墳の中心埋葬施設の棺内状況

円筒棺はそのほとんどが単独で営まれていて、しかも副葬品はほとんど入れられないのが普通です。ですから、それは庶民の葬法だと考えられるのです。しかし、当時の庶民の一般的なお墓は特別の棺を用いず、素掘りの穴に直接遺体を納めるものでした。ですから、円筒棺には特別の意味を持たせていたことも考えなければなりません。円筒棺が集中して見つかる場所は、大古墳群が造られた地域とよく重なりますので、古墳造りを担当した土師氏との関係が強いとみられています。
ところで、この土師の里8号墳は、小規模なのですが、古墳であり、その中心施設の円筒棺には副葬品も伴っていたわけですから、その被葬者は一般の円筒棺の被葬者とは区別される存在であったことは確かでしょう。
では、彼がどんな存在だったかを考えてみることにします。まず副葬品に注目してみましょう。棺内には鉄刀と鉄剣を一口づつ持ち込んでいます。さらに棺の上には鉄鏃(てつぞく)8本、鉄斧、鉄鋤先、鉄鎌各1点を副えていました。普通古墳の副葬品として欠かせない鏡や装身具はありませんでした。鉄の武器や農工具はすべて実際に使っていた実用品だったことも確かめられました。たとえば鎌は刃が減って研ぎ直したものだったのです。
この頃の大規模古墳の近辺にある陪塚でよくみられる鉄製模造品のたぐいはありませんでした。鉄製模造品とは、お墓に供える目的で特別に作られた品物で、実用品の形をしているのですが、小型でしかも薄い鉄板を加工したちゃっちいものなのです。土師の里8号墳の副葬品は鏡や装身具を欠き、多種少量の実用の鉄製品から構成されていたのです。
こうした特徴から考えると、8号墳の主は、一定の権力をもった首長や大王の重臣といった段階にはいたってないものの一般の庶民層とは一線を画した存在であったことをうかがわせます。南と北に並置された円筒棺を中央棺の陪葬と考えれば、その感を一層強くします。
棺内から見つかった人骨は、彼が20才に満たない若い男性であったことを教えてくれました。20才そこそこで、彼が一般庶民と一線を画する存在まで実力でのし上っていったとは考えにくく、その地位は世襲されたものだろうと推測できるのではないでしょうか。
土師の里8号墳の西側の大鳥塚古墳までのエリアには、今は姿をとどめていませんが、楯塚(たてづか)古墳、鞍塚(くらづか)古墳、珠金塚(しゅきんづか)古墳、西珠金塚古墳、狼塚(おおかみづか)古墳などがありました。これらは、4世紀末から5世紀後半に順次出来上がった中規模の立派な古墳です。これらの古墳の主は、土師氏の族長ではなかったかと考えています。
もしそうであるなら、土師の里8号墳の主は、末は土師氏の族長の地位を約束されながら、若くして亡くなった人物ではなかろうかと想像しています。
ただ、装身具をまったく持たないことや特注品といっても円筒棺を用いている点は、少しひっかかりを感じているのですが。
土師の里8号墳の調査とその成果は、土師氏と円筒棺、副葬品のもつ意味、古墳の形と規模、そして古市古墳群のもつ重層的な構成など、考えさせられる多くのテーマを私たちに提供してくれました。「古墳時代は面白い」と思いませんか。(この項おわり)

写真:土師の里8号墳の中心埋葬施設の棺内状況
『広報ふじいでら』第397号 2002年6月号より

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