修羅の由来(No.4)

更新日:2013年12月18日

全貌を現した大修羅、小修羅、てこ棒

今回は、この巨大な木ゾリをなぜ「修羅」と呼ぶようになったかを、少し詳しく調べてみたいと思います。
プロレスの試合、反則の応酬で両選手血だるま、アナウンサーが叫んでいる「リングはまさに修羅場のごときありさまであります!」
辞書で引くと、修羅場とは「激烈な戦闘がおこなわれた場所」と書かれています。さて、修羅場と木ゾリの修羅は関係するのでしょうか。
そんなことより、奈良興福寺の「阿修羅」像が関係あるのではないか、と思われるかたもおられるでしょう。この三面六臂の異形の乾漆像は、天平文化を代表する仏像として国宝に指定されています。阿修羅像は、細見の体躯に凛々しい少年のような顔をもち、そのひたむきな表情は、帝釈天の感化を受け、仏法守護の決意を表現したものと説明されています。
推察のとおり、この阿修羅が木ゾリの修羅の語源となったのです。
インド神話によれば、もと阿修羅は、好戦の魔神であったとされ、絶対の神帝釈天に幾度も戦いを挑みました。阿修羅は、激闘ののち敗れ、仏法の守護神に加わることになります。しかし、その壮烈な戦いぶりは、何事にも動じないとされた帝釈天を動揺させるところがあったといいます。激しい戦場を修羅場と呼ぶのは、ここからきているのです。
つまり、だれにも動かすことができなかった帝釈天を、唯一動かした神が、阿修羅だったのです。この故事から、帝釈(たいしゃく)に大石(たいせき)をごろ合わせし、大石を動かす木ゾリを修羅と呼ぶようになったらしいのです。
僧行誉が編纂した百科事典「あい襄抄(あいのうしょう)」文安3年(1446)には「石引物ヲ修羅ト云ハ何事ゾ。帝釈大石ヲ動カス事、修羅ニアラズバアルベカラズ」と記されています。
大石を運搬する木ゾリを修羅と呼んだ事実は、確実に室町時代にまでさかのぼるのです。

:三面六臂(さんめんろっぴ) 顔が3つで腕が6本あること。

写真:全貌を現した大修羅、小修羅、てこ棒(大阪府教育委員会提供)

『広報ふじいでら』第254号 1990年7月号より

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