百舌鳥古墳群と古市古墳群(ふじいでら歴史紀行27)

更新日:2016年03月31日

小学校や中学校の教科書には、古墳の代表例として日本で最大の前方後円墳仁徳陵古墳(大山古墳・大仙古墳)が紹介されています。わたしも中学生の時には仁徳陵古墳の写真を見ながらまだ見ぬ大前方後円墳の雄姿を想像していました。大阪にきて最初にみた古市古墳群の巨大前方後円墳は、あまりに大きすぎ、横から見ると予想に反して単なる巨大な山として私の目に映りました。しかし周濠を巡りさまざまな角度からみた巨大な前方後円墳の姿は1500年前に造られたとは思えない雄大さで私を圧倒しました。

日本最大の規模を誇る堺市の仁徳陵古墳のある百舌鳥古墳群と古市古墳群とはどのような特徴を持っているのでしょうか。二つの古墳群や初現的な前方後円墳を含む奈良県の大和・柳本古墳群と比較しながら考えていきたいと思います。

古市古墳群は、発掘調査によって毎年古墳が新たに見つかっており、現時点(平成21年2月末時点)で前方後円墳29基、円墳37基、方墳52基、墳形不明8基、計126基からなる古墳群です。この内墳丘長200メートルを越す巨大な前方後円墳6基を含んでいます。残念ながらこれらの古墳の大半は現在その姿を地上に留めておらず、現在墳丘を残している古墳は、半数以下の47基です。百舌鳥古墳群は前方後円墳39基、円墳60基、方墳9基、計108基からなる古墳群です。墳丘長200メートルを越す前方後円墳4基を含み、日本最大の前方後円墳仁徳陵古墳(墳丘長486メートル)も含まれています。 一方、大和・柳本古墳群は奈良県天理市に位置する古墳群で、古い段階の前方後円墳が主体となる古墳群です。墳丘長280メートルの箸墓古墳を含み、古墳時代前期に限るとほぼ前方後円墳と前方後方墳で構成されています。

古市古墳群・百舌鳥古墳群は大和・柳本古墳群と比較すると、古墳の形に多様性が認められることや古墳の規模や内容の格差が大きいことが挙げられます。

また百舌鳥古墳群と古市古墳群では、百舌鳥古墳群が円墳の構成比率が高く、方墳が少ないことが大きな特徴として挙げられます。
これは古墳の築造時期にも関連しており、古市古墳群が4世紀中頃から6世紀中頃まで継続して古墳が造営されているのに対して、百舌鳥古墳群では、5世紀中頃から後半にかけての古墳造営が盛んになり、それ以降急激に造墓活動が終息していくことに起因していると考えられます。

大型の前方後円墳の周囲に配置されている陪塚とよばれる小型の古墳は、古い段階では方墳を主体として構成されるのに対して、時期が新しくなるにしたがって円墳、帆立貝形前方後円墳、前方後円墳と変化していくことが明らかとなっており、百舌鳥古墳群と古市古墳群の造営時期の差によって墳形の構成の違いが現れていると考えられます。陪塚の墳形の変化からは、陪塚被葬者の社会的地位の向上を読み取ることができると考えており、当時の社会構造を古墳の変化を通して垣間見ている気持ちになります。

一方、仁徳陵古墳・応神陵古墳といった巨大な前方後円墳の存在は、墳丘の盛大化、隔絶化といった様相を読み取ることができ、古市古墳群と百舌鳥古墳群で共通した要素となっています。百舌鳥・古市古墳群は、国家の形成過程を示すモニュメントであるのみならず、古墳文化という独特な墳墓の築造に膨大なエネルギーを集中した、他に類をみない特異な文化がかつて存在したことの証として、人類共通の普遍的な価値を持っています。

陪塚配置の変遷のイラスト。古い段階では方墳を主体に構成されるのに対して、円墳、帆立貝形前方後円墳、前方後円墳と変化し、百舌鳥古墳群と古市古墳群の造営時期の差によって墳形の構成の違いが現れている。

『広報ふじいでら』第479号 2009年4月号より

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