墳丘にきざまれた歴史(ふじいでら歴史紀行72)

更新日:2016年03月31日

「レーザ測量図が完成 応神陵方形土檀確認」

 平成24年9月、新聞に大きな見出しが躍りました。世界遺産をめざす百舌鳥・古市古墳群世界文化遺産登録推進本部会議(大阪府・堺市・羽曳野市・藤井寺市)では、世界遺産登録に必要な古墳の精密な測量図を作成しました。

 百舌鳥・古市古墳群にある古墳は、陵墓として宮内庁で管理されている古墳も多く、それらの墳丘内に立ち入ることはできません。これまでは、今から約80年前に測量された陵墓地形図を参考にしていました。

 しかし最新の墳丘測量図は、世界遺産一覧表登録推薦書に掲載するために必要な図面です。このため墳丘に立ち入らないで、樹木の生えた墳丘の精密な測量図を作成することが可能な、レーザ測量を実施しました。

 レーザ測量は、上空500mの航空機から照射したレーザ光の反射時間を分析することで、10~20cm間隔の細かな起伏を読み取る測量方法です。樹木に覆われていても、枝や葉の隙間をレーザが擦り抜け、墳丘の高さなどを測ることができる最新の測量方法です。

 これまでの陵墓地形図は、1mあるいは2m単位の等高線図でした。今回の航空レーザ測量では、10~20cm間隔の等高線図が作成され、墳丘の微細な起伏を表現することができます。そのため平坦部と傾斜面の差が明確になり、墳丘の平面形、墳丘斜面の傾斜状況や段築平坦面の広さ、墳頂部の壇の存在、造出部の構造などを、多くの古墳でこれまでよりも詳細に捉えることができました。

 このレーザ測量の結果、応神天皇陵古墳の前方部墳頂に、方形の壇(長辺22m、短辺16m、高さ3m)が存在すること、東造出部が墳丘第1段斜面に取り付いている状況や、西造出部の形状が陵墓地形図より明確になりました。また他の陵墓においても、墳丘に刻まれた後世の改変が認められました。

 以前より、城郭として再利用されていることが知られていた仲哀天皇陵古墳では、微細な城郭の状況を明らかにしました。また幕末に陵墓に定められた後、墳丘への立ち入りが禁止されたため、中世の城郭の状況がそのまま墳丘に残されていることが明らかとなりました。

 また人為的な改変以外にも、自然の大きな力によって変形されている古墳があることも明らかになりました。日本で最大の規模を誇る仁徳天皇陵古墳では、前方部墳丘に縦筋状の等高線の乱れが確認できました。この乱れが巨大地震でできた無数の地割れであることや、後円部の2箇所が大きくえぐれて崩壊した巨大地震の地滑り跡であることを、レーザ測量図を調べた寒川旭産業技術総合研究所客員研究員は指摘しています。

 こうした状況は、これまで残されてきた巨大な古墳が、地震で繰り返し被災している状況を、墳丘の乱れが示しているようです。これらの巨大な古墳は、陵墓に定められているために、人の影響を極力受けずに保全されています。こうした保存環境は、資産の保全を第一義とした世界遺産の考え方に合致しているのかもしれません。

(世界遺産登録推進室 山田幸弘)

仁徳天皇陵レーザ測量図

仁徳天皇陵レーザ測量図(巨大地震の痕跡か?)

仲哀天皇陵レーザ測量図

仲哀天皇陵レーザ測量図(中世の城の状況をよく残している)

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