大形粗石器の評価(No.118)

更新日:2017年07月08日

発掘のきっかけとなった大形粗石器(濱田『河内国府石器時代遺跡発掘報告』1918年より)

この発掘調査報告書では、発掘の動機から始まり、発掘の経過、出土遺物の説明、そして後論から構成されています。後論は三節からなり、一は大形粗石器、二は土器の系統、三は国府発見の人骨と人種で問題点を総括されています。
まず一の大形粗石器は、すでに触れたように濱田耕作さんが、国府遺跡を発掘するきっかけとなった遺物です。濱田さんは、大形粗石器が弥生土器や縄紋土器に伴って出土した事実を重視しています。さらに土器を含まない砂利層を掘り下げて、ここからは何ら遺物が出なかったことを確認しています。
したがって、大形粗石器は当初期待したように旧石器時代の遺物ではなく、新石器時代の産物であると結論しています。その形がヨーロッパの旧石器に似ている点については、石鏃(せきぞく)などの小型の石器を作る石片を割り取った後の残石、あるいは石槍(せきそう)などの大形石器の作り損じたものが結果的に似て非なるものを作りあげたとしています。
実は濱田さんは発掘終了間なしの6月9日付けの大阪朝日新聞で、すでにその見解を明らかにしています。「(前略)吾人は彼の大形粗製の石器も畢竟小形精巧の品と同時代のものであってただ時に旧石器的な形を備えていても、之を新石器時代以前のものとすることの全く妄(みだり)であることを証明した(後略)」全く妄とまで言い切っていることが注目を引きます。
今日、京都大学に保管されているこの大形粗石器を実際に見てみると、その多くが弥生時代の石槍ないし石剣の未成品や失敗品であることが分かります。サヌカイト製石器の時代を簡単に見分けるポイントに石器の地肌の観察があります。旧石器時代の石器は、万を単位とする長い年月の経過によって石器表面が風化し、ほとんど例外なくざらざらで灰白色をしているのです。これに対して弥生時代の石器は打ち欠いた面がつるつるで漆黒色をしていることが多いのです。大形粗石器が漆黒色をしていることは濱田さんの結論が正しかったことを追認することができます。
しかし、なお気になることは、福原潜次郎さんの言です。大形粗石器は砂利層のさらに下の粘土層から出たとする点です。濱田さんもその後行われたどの調査でもまだ砂利層下の粘土層を調査したことがないのです。昭和32年(1957年)に発見された後期旧石器の遺物は、砂利層直上の粘土層から見つかっています。もし、砂利層下の粘土層に石器が含まれているとすれば、それは前期旧石器の可能性の高いものということになります。いつの日か福原さんの言葉を発掘調査によって確かめてみたいと夢見ています。(つづく)

写真:発掘のきっかけとなった大形粗石器(濱田『河内国府石器時代遺跡発掘報告』1918年より)

『広報ふじいでら』第368号 2000年1月号より

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