大阪狭山市立郷土資料館を訪ねて1(No.89)
更新日:2013年12月20日
津堂城山古墳から出土した水鳥形埴輪は、大阪府立近つ飛鳥博物館への出品後、大阪狭山市の郷土資料館から、秋季特別展への出品依頼がきています。
この特別展は、故末永雅雄さんの古墳研究の足跡を回顧しようとする企画です。末永さんの戦前の奈良県石舞台古墳から、戦後の高松塚古墳にいたる重要な古墳の調査は、そのまま日本考古学史といっても過言ではないでしょう。
末永さんは大阪狭山市にお住まいで、この郷土資料館の設立にもご尽力され、その機縁もあって、今回の特別展の企画が立てられたとのことです。
それでは津堂城山古墳の水鳥形埴輪が、なぜ出品の候補に挙がったのか、言葉を換えれば、末永さんの研究と、水鳥形埴輪がどのようにつながるのか、ということに話を移しましょう。
末永さんは戦後、飛行機から古墳を観察するという、新しい研究方法を取り入れられました。今では、考古学研究に、航空写真を利用することは常識になっていますが、戦後間もない当時としては、画期的なことだったのです。
この飛行機による古墳観察での大きな研究成果の一つに、「周庭帯」の発見がありました。「大規模な古墳は墳丘と、それを取り囲む濠で構成されている」というのが、当時の定説だったのです。ところが空から古墳を見ると、濠の外側に、一定の幅で帯状にめぐる地割りのある古墳が見つかったのです。こうした地割りは、地上観察からは到底見つけることはできなかったのです。
濠の外側をめぐるこの付属地を、末永さんは「周庭帯」と名づけられました。そして周庭帯が典型的に残っている古墳として、津堂城山古墳の名前を挙げられたのです。
津堂城山古墳の周庭帯は、幅約80メートルにもおよび、付近の地割りとは明らかに異なっていて、かつて、ここが古墳の領域だったことを鮮やかに示していたのです。
末永さんは、さらに空からの古墳観察を進め、周庭帯が大規模な前方後円墳、特に中期古墳に顕著に現れることを指摘され、大規模な前方後円墳の構造は、周庭帯も含めて理解すべきであることを主張されたのです。
津堂城山古墳の周庭帯は、末永さんの発見から、およそ30年近くたって、ようやく本格的な発掘調査のメスが入ったのです。その調査成果は、次号でご紹介することにします。
写真:周庭帯が写し出された津堂城山古墳(末永雅雄『古墳の航空写真集』より)
『広報ふじいでら』第339号 1997年8月号より
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